錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

劇団・錦鯉タッタ、2007行動についての宣伝文。

「死の棘」から遠く離れて、それでもまだ、蚊帳を吊っている。
We are waiting on this place long long far from .


 4月、今回は役者は男1女1で行くか、というトンデモナイ話になったとき、まず口について出たのが島尾敏雄の『死の棘』だった。夫婦とか恋人とか、あるいは結社の同志とか、どうしようもなく結びついて、かつ離れられない男女の話をしよう、、、みたいな線でいこうということになった。『死の棘』をそのままやる気はない。なにせ言うまでもなく、『死の棘』は「狂気」をめぐる話だから、いまのわれわれがそのままやるのには嘘臭さ(あやうさ)がともなうだろう、と。島尾が特攻隊にいたこと(そして、出撃命令を受け、待機姿勢のまま敗戦を迎えたこと)も含め、「死んでいく者」「死なない者」「死ねない者」、、、われわれと世界のねじれた関係、、、という、ここ数年に連作的・間歇的に考えてきたことをつなげたいと思っていた。
 そして、小説『死の棘』を読み直す。映画『死の棘』を見る。『魚雷艇学生』を読み、たまたま復刻された『出発は遂に訪れず』を小躍りして購入し、その存在すら知らなかったことが恥ずかしく思える『死の棘日記』を手に入れて、読む。繰り返し、繰り返し。それらに表象されているもののしんどさと悲しさと美しさに感嘆しながらも、同時に、腑に落ちなさをつねに感じ続けながら、泥沼にはまりこんでいく。


 そんなこんなのなか、『死の棘』の部分を適当に抜いて、つなげて、「ほかのものも、ぜひ入れて」という条件のもとに、何度か稽古してみた。すると、『死の棘』の本の帯やカバーに記載されている美文とはまったくちがう『死の棘』の様相が見えてくる。そうじゃん、これでいけるじゃん、と思えた。『死の棘』に埋没したい、けれど、それは不可能でもあるし、ならば遠く離れたい、ただ離れるのはかんたんだろうけれど拘泥したい、、、それはつまり、現在のわれわれの問題だから。今回、『死の棘』の美しくもおぞましい世界の再現・表象をねらっているのではけっしてない。むしろ言うならば、この芝居は現在のわれわれの「コント」だ。


 個人の話になるが「日本前衛舞台芸術者協会準備会」というものに参加している。錦鯉タッタのどこか前衛なんだっ!とつねに反問・煩悶しつつ、前衛らしきものを「らしく」やることが前衛なんじゃなくて民衆演劇こそが(人間が元気になりうる要素を持つ演劇こそが)前衛なんだよ!と自らを鼓舞叱咤している自分がいる。会議では「あなたは演劇というものを自明視しすぎている」などと言われつつ、実際やるならば愚直に信じつつ批評的な視点を忘れないことしかないでないか、と単純に強く思う。古くからの友人で演劇の「廃業」をうたっている人がいて、それはそれでわかる部分があるけれど、それは「死」と「責任」の問題を回避しているんじゃないか、とも。あるいは「それによって生きる」という意味での「生」の問題を。愚直で真面目ならばいい、などと言うつもりはさらさらない。そんな者たちが、その愚直さから真面目さから「はみ出る」者たちを排外してきたのは紛れもない事実なのだから。


 「いまこそ芝居ではなく運動を!」と言う友人もいる。「ひとりよがりの自己満足的な芝居はもうたくさんだ」という友人も。「わかりやすい、誰でも楽しめる芝居がいい」と主張する劇団メンバーもいる。どれもよくわかる。その要素はどれも必要かつ不可欠なものだと思う。そして、それへの道はさまざまであり、一見の「らしさ」がそれらを保証するものでもない、とも。ただ今回、それらの発言に応えたいと思う。プラス、応えられると思う。人間が元気になりうる要素を持つ演劇とは、それらにほかならないのだから。なにより『死の棘』は、つらく悲しくきびしくも、笑える要素を含みながら、われわれの問題として、いまここに、あるのだから。


 数年前に何度かハイナー・ミュラーを素材とした。ある芝居で、彼が帰宅し(おそらく自殺した)妻の死体を発見する場面を扱ったことがある。島尾もミュラーも、そしてわれわれも同じようなものだ。ただ、島尾の妻・ミホは生き続けた。そしてわれわれも、いま、生き続けている。
 切に、切に、御来場をお待ちしています。

(山田 零)