生の歌と「うまへた」。
「ダーク」読み進む。
最初に思ったよりは、ずっとまとも。
(シリーズものはついつい固定客よりに流れてしまう傾向があるから。)
ただ、桐野を読むと、いつも高村を思い起こしてしまう。それも、悪いかたちで。桐野の書く女性はわざとらしくかっこつけてるだけ(悪ぶってるだけ)に見えてしまう。
ま、「柔らかな頬」の主人公はそう見えなかったから、やはりコンセプトによるのかもしれない。
まだ途中なんだけど。(とにかく、長すぎる。それが売りなんだろうけど。)
歌番組みる。
生の歌はおもしろい。
生で歌ってない(歌ってる声を生で流してない)のはやはりわかる。
さて、中居の「へたさ」には驚く。
でも、歌のよさは「うまいへた」とは関係ないと改めて思う。
こわそうに、びくびくしながら、しかし、しっかり歌う彼はよい。
たとえ「へた」であっても。
歌がうまいのは存分に伝わってくるけど、ちっとも心に響かない人もいる。
気持ちがはいってる・はいってないも、はっきりとわかる。
たどたどしくても、「どへた」でも、気がはいってるときは、こわいくらいに伝わってくる。
芝居もまったく同じ。
うまくても、流暢にしゃべれても、何年やってても、そんなことは関係ない。
川本真琴をひさびさに聴く。
「古く」感じてしまうのは何故なんだろう。
頼んでいた本が届く。
8ミリビデオ(ハイエイト)をVHSにダビングしてもらって、北浦和に届けることにする。ほかにも8ミリにしかない映像がたくさんある。どうにかしないといけない。
マックのOS9とともに、中古で手に入れてしまうのがいいのかも。