錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

千賀ゆう子企画のドラマリーディング。錦鯉タッタのチラシ完成する。

千賀ゆう子企画、ドラマリーディング「ラブ・チャイルド」を見に行く。
六本木のストライプハウスギャラリー。
ここは昔、美術館だった。いまは1階が書店、3階がギャラリー。
美術館のころは、建物の(縦長という)いびつさも含めて、かなり魅力的なスペースだった。
(いまもこじんまりとしていてよいんですが、かつては「使いにくい」という圧倒的に素敵な利点があった、、、。)


この日の夕方にはチラシができあがっている、との情報があり、せっかくなので千賀さんの公演にチラシを入れさせてもらおう、と考えたわけ。
夕方、日暮里にある山猫印刷に向かう。山猫、、、いー名前だなー。
失礼な話だけど、もっと質素なところを想像していたから、あたりをグルグル回遊してしまいました。配送のついでだから、、、と、Tさんにちょっとばかり車に乗せてもらったこともなんかいい感じ。
明るいところで改めてチラシを見てみると、苦労して、いろいろ画策しただけあって、かなりこちらもいい感じ。
配らなければ、、、。それがなければ、ただの紙屑だ、、、。


で、六本木。開演ギリギリなのに、チラシ巻かせていただき、終了後はチラシ入れさせていただき、ありがとさんでした。
で、ドラマリーディング。


オーストラリアの40代女性の作家のものらしい。娘を捨てた43の母と、その母を訪ねてきた25の娘、の話。最後にどんでん返しっぽいのがある。(あんまりすっきりしないんだけど。)
全体の話そのものも、テーマとしては(主張としては)ちょっと納得いかないところもある。、、、なんだけど、なかなか見せる。聞かせる。
リーディングだから手に台本を持っているし、それほど動きはしないんだけど、ちょっとした目線なんかが効いている。最初と最後の詩的な部分と最後のどんでん返しは「むー」なんだけど、途中(というか、ほとんど)の「ひたすら会話」の部分はいい。誤解されそうな気もするけど「渡る世間は鬼ばかり」の深さと近い、というか、あんな感じの説得力がある。
同じ場所で以前ハイナー・ミュラーの「カルテット」を見たことがあるんだけど、あっちはテキストそのものがいろいろくふうされているせいもあり、単純な力業としては今回のほうが上なんではなかろうか、と思う。テキスト上も、演技上も「単純な力業」というものの奥深さには底しれないところがある。(これ、明日も同様の感想をいだくことになる。)
場面転換もないし、最初と最後以外は意味深なところもないし、仕掛けもないし、ただただ2人の女が向き合い、すれちがい、ごまかしあい、罵倒しあう、、、それに2人女優が心底を傾ける、、、悪くない。うがった見方をする要素がない分だけ、役者の生が見える。


これ、木・土と金・日でダブルキャストになっている。俺が見たのは木曜日。
金・日の人は受付にいたんだけど、見てみたいな、と思った。こういうものって役者にかかってる比重が高いから、とても気になった。(ダブルキャストって、たいがいあんまりいい印象ないんだけどね。)そいう意味でも、強い構造を持った上演だった。


そののち、麻布ディプラッツに向かう。
明日からはじまる「錬肉工房」の芝居にチラシ入れをさせてもらうため。前日だし、立て込んでるだろうし、遅い時間に行って、こそこそチラシ入れしようという魂胆。
裏口から入る、こっそり。おー、やっぱりシーンとしてる。ゲネ中かなー。
無人のロビーを抜けて、静かにこわごわと劇場のドアを開ける。
あれ、誰もいない。
劇場の人が気配を感じて、出てくる。
「みなさん、もう帰りましたよ」
あらら。
、、、しかたがないので、メモを置いて、チラシも置いてきました。
劇場の方にもあいさつして、、、。


土曜日に見にいったら、ちゃんと入れてありました。錬肉工房さん、どうもありがとうございました。