錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

やらねばならぬことを爆裂して、やる。そして、稽古。

やらねばならぬことが満載してる。
風邪がややマシになったので、爆裂して、やる。


メールを出し、宛名を書き、音楽を聴き、返信をし、郵便局に行き、銀行に行き、パソコンに向かい、ファックスを受信し、洗濯をし、パソコンに向かい、夜が明け、稽古場に行き、届け物を夜更けのビルのポストに入れ、入っているものを取り出し、またパソコンに向かい、メールをし、、、。


30分ほど立ち飲み。やはり、いい。


さて、稽古。
先週もそうだけど、少人数の稽古は、それはそれでいい。やれる部分が少ないから、逃げ場が少なくなる。煮詰まる要素は高いんだけど、煮詰まらない稽古場は稽古場ではないし。
しゃべりすぎはあいかわらず。気をつけたい。
簡明に、明確に、柔軟に。
最近、稽古をしてると、かつて見たいろんな演出家のいろんな態度(稽古場での時間の使い方)を思い出す。よいところをパクロウ、悪いところは真似しないようにしようと躍起になっている。これ、役者をやってるときでもおんなじだ。


同じ3時間でも、やりようによって、自己満足にしかならない3時間にもなるし、キツイけど有意義な3時間にもなりうる。
その前の準備がとても大切。知的レベルで、身体感覚レベルで。
稽古をしてると「驚くほど、いいとき」がある。それを役者たちにうまく伝えるのは、それを再現する(させる)のは本当に難しい。けど、それは「たまたま」であってはならず、「運」ではダメで、やはり「定着」させる必要があり、それにはそのための方法がある。
それはマニュアルではなくて「定規」みたいなものだ。それも手持ちの、簡便な。


演劇は(何度も書いているけれど)とてもコストパフォーマンスの低い作業だ。まして、われわれの方法はそう。でも、そのコストパフォーマンスの低さから滲み出るものはなかなかあなどれないところがある。


さて、明日も稽古。
たのしみたのしみ。


トイレで(もう何度目だろう、10回以上になるだろうか)「地下室の手記」を数ページずつ読んでいる。何度読んでもため息がでる。はー。