錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

意味なんてわからなくとも「うむ」と思わされてしまう説得力。

2日の晩もまたもや、泊まり込み、いまは3日の昼。
ただ、少しばかりの用事のために、朝帰る。そんな朝。
さて、きのうのことを振り返ろう、、、。


昼は作業。
誘導用の案内看板をつくったり、大きな「錦鯉タッタ」垂れ幕をつくったり。
夕方には美術家の高島芳幸さんがインスタレーションの手直しに来てくれる。


さて、ゲネプロ。いわゆる、リハーサル。
まったく本番とおりにやる、、、というものなんだけど、やはり、とりこぼしが出てくる。
ま、しょーがない。


芝居そのものは(この時期だし、あたりまえといえばあたりまえ、だけど)もっとも「よい出来」のものとなった。大雑把にいえば、リズムがいい。
ただ、少しワイルドさに欠けるかな、と。
すなわち、繊細さに欠けるということであり、「実存力」(こんな造語あるのか?)に欠けるということになる。つまり、意味なんてわからなくとも「うむ」と思わされてしまう説得力があるかどうか、ということ。(昔、「生きざま」が見える見えない、みたいなこと言ってたけど、言葉はいろいろ変わるけど、、、結局それなんだよね。)
けっこう細かくつくっているから、悪い意味で少々上品(強引さに欠ける)になってるのかもしれない。細かいことは大切。そこからしかはじまらない。だけど、本編は「覚えたセリフ」とか「つくった段取り」が突破される次の瞬間はじまる。
その準備をこつこつとやってきた。


さてさて、明日がまたたのしみ。