錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

花上直人さんのパフォーマンスの楽日。複数回観劇の喜び。

花上直人さんのパフォーマンスの楽日。


今回、いろいろと手伝ってみてよかったのは、まずなにより「本番を3回とも見れた」こと。次に「もともと知っている人も含めて、いろんなお客さんに会えた」こと。


われわれ自身の芝居もそうだし、よそのグループを見てもそうなんだけど、複数回やる場合、かなりちがうものになる。それは商業的見地からすれば「一定のものを提供できない」というマイナス要素になるのかもしれないんだけど、われわれのような「芸術志向」(と、あえて乱暴にくくらせてもらいます)のものにとってはプラス要素でもある。同じようなことをやっていてもどう見てもまったくちがってしまっていたり、その場のノリがプラスマイナス双方に働くこと。調子に乗らないと話にならないんだけど、調子に乗ることが必ずしもよい方向にむくとは限らないということ。
上演中・上演前・上演後の時間、花上さんのパフォーマンスそのものを楽しむと同時に、かなり自分(たち)のことを考えた。


ものごとは初発がおもしろい(不出来であっても)ということ。同時に、慣れることの是非と、慣れることでしか継続はありえないということ。


お客については、舞踏系・パフォーマンス系の人が多く来ていて、前から知り合いで話したことがあった人も多かったんだけど、改めてかなり話すことができた。芝居(演劇)と舞踏・パフォーマンスなんて本質的にはあんまりちがわないんだよと思っていたけれど、稽古場の話になるとやはりかなりちがう。とくに「稽古は手間暇をかけるものだ、いかに無駄的に思えることを共有することだ」と考える俺としては、彼らの身の軽さは尊敬と同時に「ちがうなあ」という気持ちを起こさせる。


ま、そんなのも含めて、いい出会いでした。新小岩劇場にとっても変化のきざしとなりそうだし。
そもそも、芝居でも「苦労して台本をつくって、スタッフがかたちをつくって、役者はセリフが入ったら本番」みたいなものはけっこうあるし。それはそれでプロの根性と技術が必要なわけだけど、錦鯉タッタとしては稽古の「手間暇・無駄」が勝負だと改めて感じたという次第。


しかし、また話が戻るけど、打ち上げでできた話としては自分たちのときよりも有意義だったかも。これ、自分たちのときはあいさつしなきゃ、とか、いろいろあるせいなんだろか。とうぜん、喧嘩になるような側面も出てこないんだけど、、、。


なにはともあれ、花上さん、お疲れさまでした。
いいもの見せてもらいました。
評判がいいみたいな「首のっけ巨人」の奴、ニパフで見たのとか稽古で見たのをいれると、計5回見たんだけど、いろいろ思いました。俺もやっぱ(4つのブロックのうちで)あれがいちばん好きなんだけど、いつもいいとは限らない、というか、いいものが揺れ動いている、というか、、、いろいろ考えさせてもらいました。