埋め込まれているもの、顕在化。(しつこいけど「百年の大逆」上演中
そうそう、思い出したことがあるので、いまは10日(金)なんだけど、11日(土)の欄に書くことにする。
以下、角田さんが一行レビューにアップしたもの。
『百年の大逆』前編(TAGTAS結成プロジェクト)@高円寺「座・高円寺1」。
−感想− 07/06 なんとクレジット無き公演。笛田事務所。モレキュラーシアター。解体社。脇川海里さん。山田零さんという人たちが個々に立ち上げた芝居を繋げた体裁だろうか。永井荷風の日記は文学界の財産として、白いブラウスの“臣民”。話す解体社のパフォーマー。それなり言いたいことはわかる。脇川さんの着流し男。正統派のラテンアメリカ流魔術的リアリズムなかなか。果たして《百年の孤独》のような結末が待っているのだろうか。
「感想」というのは「むむむー(いまいち?)」ということだと推察する。
演出家をおかない、そして、上演においてもトランスする、、、そういうスタイルでつくってきた。もちろん、なかなかうまくいかない。ただ「苦闘」だけはしてきた。むろん、そんなのは言い訳にもならない。それぞれの陳列棚(スモール版)的な要素があったことは認める。ただ、そこに(見えないかたちで?)埋め込まれたものの深さにはかなりのものがある。
現在、後編に向けて「上演そのものを問う」かたちでさらに苦闘している。
それぞれのやりたいことならば、それぞれの現場でやればいいのだから。
トランスとは、共同とはなにか、を改めて思い知っている。というより、そんなのかんたんにはいかないことを思い知っている。ただ、それほどスムーズにはいかないその作業のなかに、手応えがないわけではない。
角田さんとの出会いは錦鯉タッタが「1カ月に17ステージやる」という(観客動員数からすれば)無謀な上演をしたときだった。台風の夜、客は彼と受付の女性だけだったと記憶している。役者よりも客のほうが少ないのだから、空気はさぞ寒かったと思う。
で、むちゃくちゃ書かれた。
無理もない。
ただなぜか(不見識にもメンバーの誰かが文句を言ったという噂もある)17ステージあった終わりのほうの上演に彼は来てくれた。客もそのころはさすがに入っていた。
彼は誉めてくれた。
なにしろ、17回やったわけだけど、結果的に彼は最多観劇者だったわけだから。
無謀さ、という点では(その点だけだけど)あのときの錦鯉タッタと今回のタグタスプロジェクトは似ているところがある。顕在化されていない深さが埋め込まれているという点でも。ただ、顕在化しなかったら、それは「内輪話」にしかならない。
よろしい。
顕在化してみせましょう。
改めて、みなさま、集結を!