錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

「芸術/運動」というもののあり方。「百年の大逆・後編」上演初日!

タグタスは「芸術/運動」である。


最近、改めてそう思う。
そのつもりで関わってきて、「運動なんて、こんな状況でできるんかよ」と、常に問わざるをえないなかでウロウロやってきて、改めて、そう思う。


「救援」という冊子に運動史を書いている方や、大逆について書いている新聞記者の方、学術的なところで(地道に、とあえて言わせてもらう)研究を続けている方、そしてもちろん、円卓会議の総合司会を担当してくれている、鴻英良さん。連日のように(初対面なのに)かけつけてくれる人がかなりいる。


水曜木曜とやったドラマワークショップという奴は「参加者が1ページずつ声に出して戯曲を読んでいく」という形式のもの。タグタスのフォーラムですでに試験的に行っていたけれど「声を出して参加する」ということの大きさに改めて、気づかされる。いつもこっちは「やってる側」だから。上演の客ではない「参加者」の顔と声を見ると、客が暗がりの客席にずっと座らされているという、上演のもつ(疑われることのない)形態が疑わしく見えてくる。
もっともそれは、テントや、われわれの劇場(新小岩zaza)では既知のものなのだけれど。
だけれど、改めて、、、。


さてさて、本日は「百年の大逆・後編」上演初日です!
明日の昼が楽日。
つまり、2回しかやらない。
お見逃しなく。


上演初日の前日の夜に「稽古もしないで、こんなことやってていいんかよー」と本気で思いつつ、でもこれが運動だよなー、テントで旅してるときってこうだもんなー、と思い出す。


あらゆることは上演に跳ね返る。というより、跳ね返させなければ、上演をやってる側としては失格。自分の表現(やりたいこと・欲望)を表出する場が上演なんかではけっしてないんだから。


とはいえ、新たな身体(そんなのない、を前提としつつ)を帯びる一瞬を提示すべく、臨もう。
みなさま、集結を。