錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

稽古場、津久井の事件、死ぬ気で?、よりよい世界。

津久井やまゆり園での事件、がらみ。

今日そこそこ(つまり、かなり)詰めた稽古のあとで、、今回の協力者でもある方が「犯人が2月に衆議院議長にあてた手紙の全文を手に入れた」との話を聞いた。テレビでも事件数日後には「墨塗り」のかたちでかなり掲載していたが(テレビを持たぬ私は、すでに朽ちた携帯電話のワンセグ!で見た!)、ネットでは墨塗りでない全文が流れているという。

詳しくは知らぬその事件の一報が流れたあとの(午後に確か、流れた)夜の稽古のなかでも、その日にやった稽古のフリートーク場面で知的障害者施設に長年勤務している役者がチラとそれに触れたこともあり、それについて触れぬわけにはいかなかった、いろんな意味で。けれど翌日の朝「私はUFOを見た、未来人である」みたいなことが平然と(おそらく「犯人」のなかでは、真摯に)書かれている手紙=直訴状を古い携帯の画面の中に見て(それを読み上げるアナウンサーの声を聞いて)慄然としないわけにはいかなかった。

今回の芝居の主要な登場人物が、今回の「犯人」と同じ認識を持っているという設定だからだ。無論、その設定は私のオリジナルではない。参照させてもらっている小説の設定。ただ、その設定に(おそらく小説の作家以上に)のめり込もうとしている私には(その作家が「英霊の声」の名のもとに「二二六事件の青年将校」と「特攻隊乗組員」の呪詛として、同時代人としての「昭和天皇」への深い違和を表明していることへの、遠くて近い決別=展開をなさんとしている私には)、、ちょっと参った話だった。

言うまでもなく芝居は(芸術は)仮構(嘘)だ。つまり、やってみせるだけ。「事実は小説より奇なり」という使い古された文言は、言うまでもなく、事実=アタリ=真実。それを大前提として(無理を承知で)芝居=芸術=嘘に(多大な時間を費やし、全力で)取り組んでいるわけだけれど、、、稽古場で役者たちに「あなた方はUFOを見て、覚醒した異星人なわけです。つまりあからさまに言えば、地道に普通に生きている人から見れば、キチガイなんです。だからあ、、」みたいなことを平然と(少なくとも私のなかでは、真摯に)言ってきた私にとっては、、やはり、なかなか、キツイ事態。


いやいや、少しばかり聞きかじった話だけれど、シェイクスピアの『オセロ』かなんかを観て、観客が「なんて、あいつは悪い奴だ」と出ていた役者を刺し殺した、という話を前提にして、芝居を続けてきた私ではないか。

?? あー、それくらいのカクゴがないと舞台には立てないのね、当たり前だのクラッカー。あっはははー。


???
つまり死ぬ気で立て、と。
そんな無茶な。
(その気になっても、無理です、そんなの。)
つか、死んだら立てません、。


あー、、、
津久井がらみで、話さなければならないと妄信しながら長い(行きの)通勤電車のなかで考えをまとめていたのに、稽古後の話のせいで帰りの電車で鬱々としているうちに、まったく違った文章を、、。
ま、いいや。また書けば、いいんだから。
「また」があるうちは、。


あ、そういえば今日の稽古で欠席の役者の代役をやることになり、くだんのフリートーク(無駄話)場面で都知事選の話を(つい、フラっと)してしまった。埼玉に住み東京に通う投票権のない埼玉都民として(ザザは東京都にある)、関東人として日本国民として!!それなりの関心を持っていたのだから、それも無理はない。少なからぬ意見も持っていたし、少なからぬ感想も持っている。だけど、、、頭のなかには津久井、、つか、、、内ゲバ話と「よりよい世界」の話のみが、、、よりよい世界って、どんなんだろう、、、