錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

カラオケと「書くこと」。

仕事を少し。
カラオケも少し。
だいぶでかい声を出した。
酒はたくさん。


「家族芝居」読みはじめる。
そうか、佐川と重松は同世代なのね。
感じも少し似てる。
どこだろう、、、。
そうだ、育ちがよさそうなところだ。
、、、これは育ちの悪い俺のひがみなんだろか。
とはいえ、「育ち」って、いったいなんなんだ?


シアターアーツはトイレでよく眺める。
ちょっと寒いけど、ちょっとずつ読む。
「文章」「文体」についてもう少し考えたほうがよいよなー、と思うものが多い。
言うまでもなく、内容は形式に宿るんだから。
ましてや演劇について語るならば。
文字=言語を無前提に信じているスタイルからは伝わってくるものが少ない。
書くことは「表現」なんだから。
つまり、こわいことなんだから、、、。


カラオケをやって、ためになること。
歌を「なぞる」ことはすぐにできる。けど、「歌う」ことはなかなかできない。、、、ということが身にしみてわかる。
実際に口を開けて声を出すとよくわかる。
かんたんには歌えないことを知っている人が歌手だ。
いいかえれば、かんたんには演技なんてできないことを知ってる人が役者。
しつこいけれど、つまり、かんたんに文章など書けないことを知ってる人が書く人。


ただ、文字を並べるのならば、誰にだってできるんだから。