錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

動けないなか、触れたものもの。

腰がダメだということが、こんなだったとは、、、。
痛いし、(またグギッとくるという)恐怖があるから、そろそろ動く。
つーか、動かないことにのみ努める。
実際、寝るのも痛いし。


となると、仕事はもちろん、こんな日記まがいを書くのも遠ざかる。
ホントを言うと、いま現在は30日。
あー、あの頃はこんなことしてたなー、というのをメモとともにやや記述しておく。


仕事もネットもできぬから、だらだらテレビ見て、だらだら寝て過ごす。
だから夢もたくさん見る。
たまにだらだら本も読む。
(けっこうおもしろい夢をたくさん見たのになー。「記録」できなくてすごく残念、、、。)


さて、見たテレビ。
荻野目慶子が出てる映画。あれ、Vシネか?
やけに遠めのアングルが多かったし、映画だと思う。
それにしても「遠めから」が多かった。プラス、長回しも。
心情が露わになる場面が昨今のドラマに比べるととても少ない。
それはそれでよいんだけど、なんかフランス映画っぼいなー、とも思う。
(フランス映画について、何をしてるわけでもないんだけど。)


あ、テレビ、たくさん見たのに忘れた、、、。


読んだ本。
伊藤左千夫野菊の墓」。
(こんなに短いとは思わなかった。解説に「左千夫は文章が下手」が通説みたいに言われていて、もっともとも思ったけれど、昨今の文章の密度の薄さと比べると、、、とも思う。ま、密度が濃ければいいってもんじゃないけど。)
主人公がぼっちゃんで、独りよがりで、笑える。嘉村礒多を思い出した。
あっちのほうがずっとファナティックだけど。背景っていうか、似てる。(でも、いま調べたら、生まれは30年もちがうんだな、、、。)


サリンジャーナインストーリーズ」。
読み終える。いままで軟派だと(根拠なく)思っていた自分が恥ずかしい。
続いて、いろいろ読もう、と思った。(寡作みたいだけど。)
手法、パターン、文章、切り口、、、とにかく、いろいろくふうしてる。
もちろん題材も。けど、題材は「くふう」というより「強いられてる」。
彼が第二次大戦の強迫観念にとらわれているのは、オブライエンのベトナム戦争と同型だ。(正確には年代的にも逆だけど。)
「書けない」こと、というのがとても重要なのがよくわかる。というより、それをめぐるなかで「書けないものを書く」ことしか、書くことはないんだということがよくわかる。
この辺、日本では中上健次が隣接している。
中上は「戦争」をどこで見つけたんだろう。
やはり「路地」か、、、。
そうそう、短いし、てもとに出してあったし、「熊野集」も繰り返し読んだ、偶然だけど。


白夜行」も読んだ。
長い。けど、とっとこ読める。これが現代ゆえなんだろか。
悪くない。
話を大枠で知ってることを加味すれば(ドラマの進捗状況を何度か聞いた)とてもよくできている、というべきだろう。
でも、なんでだろう、、、。
ううむ、という感じ。
心情が吐露されない、ということは徹底してる。それはもちろんいい。けど、章ごとのラストの「バレバレのいわくありげ」が嫌だったんだろか。ミステリ文法というか、ミステリ語彙というか、のあれ。
カラマーゾフとかを思い出して、くらべちゃうと、、、。
でも、くらべられるだけ、すぐれてるんだ、きっと。
ラストの短さはいい。


あれ、もっといろいろ読んだような、、、。
忘れた、、、。
そうそう、22日には仕事の会議に出かけたのだった。
梅は散っていた。
桜はまだ。
なくしてしまった帽子の代役を購入した。