錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

疲れる夢、と、「おめでとー」。

さて、夢の話。
いろいろたくさんおもろいの(疲れるの)見たのになー。
ほとんど忘れた。残念。
(疲れる夢、好きなことに気付く、、、。)
さて、いまは実は30日。1週間以上前に見た夢でゴミのようなメモが残っているのがある。
ほぼ判別不能なんだけど、それを頼りに、夢話。


たぶん芝居をやったんだと思う。
どこか遠くの場所。
芝居がはねて、たぶん酒でも飲んだんだと思う。
で、どこかに移動しようという話になって、数人で歩く。
車もなく、電車もない時間みたい。
ひと駅くらいだから、みたいな話になってたんだと思う。
線路沿いに歩くのが迷わないしいい、ということで、舗装道路でなく林の中の土の道を行く。
やがて道は道でなくなり、林は終わるようすもなく、でも、線路からはそう離れていないみたい。
道でない道を進むと、やや広い土の道に出て、そこでは祭りの気配。神輿を担ぐ人たちに続き、左折する。
いつの間にか、線路は川沿いを走っていたのか、川があって、その向こうに線路が見える。
川の横の泥地でなにか宴会の雰囲気。
(ここで「サム」「誘拐」「小人」とメモがある。そのほかにも数個の言葉。でも判別できないし、覚えてない。)
無理やり再構成すると、安室の元旦那のサム(なんでサム?)が数人の女の子と数人のコビトと宴会してる。踊ってもいる。俺はたぶん(芝居してたはずなんだけど)誰かを探していて、それを彼らに問いただす。そうこうしているうちに彼らは「泥地生活者」となっていて、話はうまくつながらない。
(ここでもう1枚のメモに「女の子2人と会う」「殴られて気絶する」とある。)
さらに無理やり再構成すると、泥地のあと、記憶がなく、着くべき駅に着いている自分に気付く。
あ、「川に指」とある。そうだ、川の泥から指がぬっと出てきて、ホラー映画のようにシャットダウンした気もする。
とにかく、駅に着いて、携帯電話がないことに気付く。
次の夜、携帯を探して、昨夜歩いたルートを再度歩く。
途中の道でない道は距離は近いが時間はかかる、などと夢ならではの(あっているか不明瞭な)論理が出てきていて、舗装道路を進み、神輿が通っていたやや広い道を探す。
と、ある。やはり、あの泥地を目指しているんだ。
で、泥地に出る。


そこでメモも記憶も終わり。
「○○考案のカードゲーム」という言葉が近くにあるけど、さすがにそれは無理やりの再構成もできない。


そのすぐ隣に鉛筆で「おめでとー」とある。
(ふだんはメモはボールペンでとる。)
この意味はわかる。
(書いた時間もぜんぜんちがうんだと思う。)


友人が結婚したらしい。それについてだ、きっと。
「生まれる」「死ぬ」「出会う」「くっつく」は、どれもよいことだ。
もちろん「別れる」も含まれる、べきだと思うけど。
いやいや、何を言ってんだか。
「生まれる」「出会う」「くっつく」はとりわけ(ずっと)よい、と言いたいんだ。だからメモった。


おめでとう。末永くお幸せに。