錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

発見の会「革命的浪漫主義」の力業、錦鯉メムバとグツグツ話す。

発見の会を見にいく。麻布ディプラッツ。


(今回はカンタンにしか書かない、つー前置きのうえで)やはり「力業」でやってくれる。
いろんなキャリアを持った人間たちが役者・スタッフとして「どうでもいいようなシーン」に、これでもかこれでもか、と込めてくる。(「どうでもいい」は誉め言葉なんですが、、、。)
楽日だったことも含め、かんたんな30分ほどのバラシ前の現地打ち上げの時間含め、「やってくれるなー」という思いは(はんぶん嫉妬まじりに)強く思った。


芝居自体も力業。
テキストは途中で展開が放棄され(「放棄される」ことが劇中で実際に宣言される)、ラスト辺りはいわくつきの歴史の断片を集団で次々と演じるだけ、、、という荒技加減。かなりリリカルに繰り返される歌も含めて、あざといくらいに(無闇に長いことも含めて)上演時間・空間をねじふせている。
さすが、、、。
ただ、、、だ。
パンフレットの瓜生さんの発言を引用する。


   「革命的浪漫主義」という題名を聞いた時(中略)一瞬の身構えを覚えた
   のだ。台本を読んで。そのあたりはサラリと流してあって、ホッとはした
   が、物足りなさもある。


芝居を見た50代と20代の感想を聞く機会があった。50代は「評価」、20代は「意味がよくわからない、ピンとこない」。50代の人と同様に俺も(40代だし)「評価」プラス「あからさまに政治をあつかっている」と感じたわけなんだけれども、20代にそれが伝わらないのは、時代のせいもあるだろうけれど、やはり扱い方が「教条的」なところがふるんだと思う。もちろん、ただの回顧だとは思わない。けれど、収まりがよすぎる。(誰が、いつ、「代弁」(しているならば、だけど)のか、引き受けているのか、、、が不明瞭なんだと感じた。)


ともあれ、その上演における(上演までもっていく)力業にこそ、発見の会の真骨頂があるのは明確で、底に対してはただただ賞賛を送るしかない。(「うらやましーなー」つーか「すごいなー」という本音もこめて。)


あ、思い出した。気になった役者が2人。メフィストの河井さんといばら姫の北川さん。
2人とも、はじめて見た気がした。でも、河井さんのほうはかなり達者だし、見てないことはないだろう、、、と思うんだけど。彼は自分からあまりにも遠いところが気になっているんだと思う。軽いし、うまいし、顔(表情)見せないし(深い帽子とド派手メガネ)、深刻ぶらないし、、、余計なことをサラリとやるし。
実際は「やりすぎ」の傾向があるんだけれど(流れを悪くしているところもあるんだけど)、それが(少なくともいまの俺には)いい。
北川さんは率直に言って「輝いてた」。キラキラしてる。俗っぽい言い方で恐縮だけどエネルギーにあふれてた。「あ、やっぱこういうのってなりよりも魅力なんだな」ということを思い出した感じ。いろいろ細かくもいえると思うけど、それに尽きる。彼女の場合、体型もいい。とてもいい。


で、上演が終わり、少しばかりのその場での打ち上げのなかでビールを飲み、人と話す。新宿でやるという本格打ち上げの案内をもらい、どうしようか、、、などど考えていると、たまたま同じ日に来ていた錦鯉タッタのメムバが近寄ってくる。(ほかにも知り合いはホントたくさんいたみたいなんですが、、、。)


で、彼の提案もあり、明日の稽古の前に「せっかくだから話そう」ということになる。
たしかに、稽古のあとでは時間も限られているし、ツメルというところまでなかなかいかないからな、、、。


で、浜松町まで歩きながら話す。(赤羽橋は店ないし。)
浜松町の居酒屋に入り、かなり詰めて話す。もちろん飲みながらなんだけど、話が広がり、とっちらかるのは歓迎というノリだったので、予想以上に有意義な時間になった。特に、フェスへの参加がなくなり、今年の総体の動きの見直しをしなければ、、、というところを、あえて整理の方向ではなくて、ウダウダと頭を沸騰させていた俺にとっては。


3時間くらい話したんだろうか、明日も稽古だし、、、というので帰る。
まだ頭は煮えたぎっている。
ま、いい徴候。
明日は稽古と話。
それまでに「少し」落ち着けばいい、ていどの話。
いまの段階ではとことんグツグツしたほうがいい。