錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

見舞い、朦朧、ハリウッド映画。

病院に行く。


日曜から3日行ってなかった。今週は曇りだったり、雨だったり、夕立だったり、雷だったり(嵐かも、ニュースによると冠水したところもあるという)、、、で、仕事だけでなく、それで見合わせていたこともあった。
まさしく、天候不順。(せっかくなので記念というか記録として書いておくと、5月の日照時間としては記録的な少なさなんだそうだ。)
そのあいだに届いたメールによれば、無事に飯(かゆ?)がはじまったらしい。
で、病院に行ってみると「めい」がいる。おー。知らん顔されたけど、、、。
彼の調子は(予想あんど噂通り)まずまずみたい。閉まる間際に行ったんだけど「8時からは2時間もテレビを見続けなければ、時代劇と渡る世間」、、、などとのたまってる。
ま、いいこった。
たまたま着いたときが看護士が腹の具合を見ていたときで、一昨日、抜糸したという腹を見せてもらう。おー、かなり長い。24センチくらい?(まー、あれだけの肉を切り、取り出したんだからなー。)
胃に突き刺していた2本のチューブも取り去られていて、残る身体に接続された管は点滴1つだけ。だいぶすっきり。(一時期は8本?)
腹を見て「へこんだなー」と思う。聞くと6キロ強減という。日曜からさらに3キロ減ったわけだ。ま、彼にとってはいいことだと思うけど、、、。数年前に友人がここに入院してたときは10キロ以上減ってたもんなー。
ともあれ、順調に快方に向かっているっぽいので、テレビを見るのの邪魔にならぬよう、さっさと退散する。退院はまだ10日ほどはかかるんだろうけれど、看護士に「退院後の飲酒」についてしつこくたずねたり、同日入院・同日手術・現在も同室の人が早くも退院態勢になっているのをみてあからさまにうらやましそうだったり、今週末は来客のためにいてくれ要請がなかったり、、、ま、めでたしめでたし、とりあえず。


仕事するのをベースにしているおかげで頭が常に朦朧としている。何をしてても仕事のことを考えるようにしているから。スポーツクラブで走っているときもボーッとしているから「だいじょうぶですか」などとスタッフから声をかけられるし、考えることを限定しているからストレスなためか、食い気だけはひたすらある。腹は減ってないけど、食いたい。テレビは見なくなるし、(仕事中よく聞いていた)ラジオはうざったくなるし、(コンピュータに張り付いているけれど)ネットも限られたエリアしか見ない。
やっぱ俺、偏執の才能(傾向?)あるなー。


ま、いっか。


さて、記録によれば17日深夜の話みたいだけど、こんなメモがあった。(17日って、病院から呼び出しの可能性があって、あったら行かないといけない晩だったはずなんだけどなー。)


体力? ダイハード参、新タが産まれるとき。引き受けるということ。悪役の女がいい。(どこが?)(なぜ?)時代と流れ?
、、、KSちゃんに「あう」話。


たぶん深夜に「ダイハード3」を見たんだと思う。たまたまテレビでやってたはず。
「ダイハード1」は友人の子どもが産まれる少し前に、すでに腹がでかかった友人と見た、たぶん劇場で。それを思い出したんだと思う。時の流れ、、、って気分だったのか。
で、「ダイハード」。周知のとおり、この映画の決まり文句は「なんで俺がこんなめにあわなくっちゃいけねえんだよ」というもの。うだつのあがらない警官が、キャリアウーマンである妻が滞在するビルが占拠された場面に偶然いあわせてしまい、大活躍してしまうというのが「1」。妻が乗っていた飛行機がハイジャックにあい、それを下から救出するというのが「2」。1では、夫婦の仲はあやしくなっていたのがこの事件をきっかけにラストでは復活しそう、で終わり、2では、あの円満夫婦が遠距離恋愛でようやく会えると思ったら災難に、、、でもラストはめでたしめでたし、となる。3では、またもや愛想をつかされ、連絡もとりあっていないアル中まがいと化した警官がまたもや事件に巻き込まれ、、、という展開。「なんで俺がこんなめにあわなくっちゃいけねえんだよ」というお決まりの流れのなかで、もちろんラストは見事に事件を解決し、別居中の妻に電話をかける、、、というところでおしまい。
ったくハリウッド映画ってのは、、、というものなんだけど、「なんで俺がこんなめにあわなくっちゃいけねえんだよ」ということと「引き受けるということ」について考えるいい機会となったんだと思う。映画そのものからは遠く離れているのかもしれないけど。「引き受けるということ」つまり「受動的」、、、好きでやってるわけじゃない、だけど(そうなってみれば?)必要なんだ、、、みたいな。
んー、なんかよくわからんな。
「悪役の女がいい」は、犯人は「1」の兄弟っつー設定で(こんなにバラしていーんかなー)ま、いろいろとどんでん返しがあるんだけど、最初のシーンからチラチラ映っている女優がけっこうよかったなー、ということ。いまいち、、、なんだけど(設定も、演技も)彼女という人(役)がいたことでこの映画はずいぶんと救われている気がした。「どこが?」「なぜ?」は忘れた。


「KSちゃんに「あう」話」は「人生劇場」第1弾のときに彼女に「あう」と言っておいて、あとでちゃんと話す、と言っていてその機会がうまくとれなかったことに関するもの。
「ダイハード」を見ながら、それについても考えていたんだと思う。
うまく覚えてないが「受動的」と「責任」と「欠落」と「反動としての能動」と「結果」というようなものに関わっているんだと思う。ま、映画とはあんまし関係ない。ただ、そんなのを考えさせてくれるところがハリウッド映画にはある。
(「カサブランカ」もそーだよなー。何度見てもちがうこと考えられる、、、。)