錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

野戦之月海筆子『海峡と毒薬』。彼のこと(問題)俺のこと(問題)。

「野戦之月海筆子」による『海峡と毒薬』を見にいく。
初日。


錦鯉タッタの11月公演の仮チラシを入れるために早めにいく。
初日だというのに、なんか静か。
「荒れ狂ってる」つーか「バタバタしてる」感じはない。
ちょっと不思議。


芝居もどこか「おとなしい」印象を受けた。
つーか「暗い」。(決して悪い意味ではない。)
むー。


終演後、軽い打ち上げの席で、「野戦之月海筆子」の親分であり、近年は日頃から日本と台湾を行き来し、作・演出を担当する桜井大造さんが「日本でやるのは3年ぶり。日本でやることに恐怖(不安、だったかな?)があったし、いまもある」と言っていたのが印象的だった。
芝居を見ると、その発言がよく「理解」できる。すなわち、、、。


あと4日あるし(内容に踏み込むことになるので)ここではもう書かない。
楽日が終わったら書こうかな。


でもその発言は、そして(おとなしく暗い印象を受けた)その芝居は、誰が、どこで、誰に向かって、なんのために、芝居をするのか、、、ということと、強く関わっているように思える。すなわち、彼が、、、。


そして(で、あるからして)、まったく「かけ離れたところで」自分がかかえる問題と重なっている、ように思う。


「誰が、どこで、誰に向かって、なんのために、芝居をするのか」。
どのように?(どのようなスタイルで?)


いま書いている現在は2日の午後6時。
もうすぐ2日めの幕が開く。
あと4日、健闘を祈りたい。


そして、われわれは明後日、稽古。稽古場の都合で昼間の野外でやる。
自らの健闘も祈ることにしよう。
(見にきてくれるように、遊びにきてくれるように、ちょっと人に声でもかけてみようかなー。)