錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

天候不順、身体の硬さ、複数による稽古、「悪」(悲劇)。

梅雨入りを思わせる、不順な天候。
今年って「五月晴れ」がすくなかったような気がする。
(ピーカンの日もあって、それで「日焼け」もしたんだけど、、、。)
鼻の頭を筆頭にすでに剥けてきた。もっとも汚い時期は越えたけど、まだ「赤い」みたい。たびたび「どうしたんだ(もう酒を飲んでるのか?)」みたいなことを言われた。


きのう、右脇腹をひねった。むー、ストレッチをもっとまめにやるべきなんだろう。
腰がやや痛いし、硬い。
ストレッチのクラスに出るととても役に立つ、異常に硬いから。汗もじっとりかく。
その後、ゆっくりとしたダンス(バレエ?)のクラスにも出る。身体が硬いことをさらに実感する。プラス、「ゆっくりとした」音楽にノル(ゆっくりを身にまとう)ことはとてもむつかしい。早いと「なんとかごまかせてしまう」から。
これ、芝居も(セリフの喋りも)同じだ。
あわてず、呼吸を深くして、遅れ気味に、緩急をつけて、すばやく、、、。
ふうむ、タメになる。ま、ぜんぜんうまくできないんだけど、だからさらに役に立つ。


そうそう、シチューもどきをつくった。
いろいろ香辛料をドバドバ入れたからか、いつもよりもマシな感じ。あと、あまり煮込みすぎなかったのがよかったのかも。冷たいまま食べてもとてもいい感じ。


さて、今週の週末は土日とも稽古。
再来週もそうだし、このチャンスをうまく生かしたいもんだ。
以下、錦鯉ブログに書いたものの転記。


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18日くらいから、「個人の」に加えて「複数による」稽古をとりいれたい。
で、10日と11日のうちに「チーム」を決めたい、とりあえずの。
最初は「2人組」がいいかな。少しだけお互いに相談してもらったりして、、、。


その前段として試しに、10日と11日に「全員稽古」をしてみようかな、と。
「出入りの順番」だけを決めておいて、次々に出て、引けていく、というスタイルのもの。

こないだを例にすれば、Aがなんかやってる。そこにBが入ってくる。どんな形であれ、AとBはからむ。頃合いがいいころにCが入る。ABC3人でからむ。頃合いいいころにDが入る。そしたら、Aは退場する。BCD3人でからむ。頃合いがいいころにEが入る。Bは退場する。CDE3人でからむ。頃合いがいいころにAが入る。Cは退場する。以下同様、、、で、Eが2度めに出て、それなりにCDE3人がからむところまで、やる。


この稽古の場合、「自分が誰であり」「この人とどういう関係であり(知り合い、他人、などなど)」「ここがどこであり」、、、なんかの設定を自らが持たないとダメ。もちろん、突飛でいいし、お互いに話しがあわなくていいし、全体として一貫していなくてもいい。(稽古だからぐちゃぐちゃでデキが悪くてもいい。)


あと、(よくわかんない言い回しで悪いんだけど)「悪」を帯びる人間を演じようと試みてくれるとうれしい。
芝居は「ありえない夢(詩)」を語り、それが客に伝播する、、、ということが大きいメディアだけど、それが真実味(リアルさ)を帯びるのは「悪」(悲劇)の要素が必要。「いかにもの悪人」をやってほしい、というのではまったくなく、自分では知らぬうちに悪に関わってしまう(悲劇の構造のなかの)人間、というものににじりよってほしい、、、。
悲惨な現実をこれみよがしにしたり顔でわかったふりをしてほしいわけではなく、善を求めるんだけど、それを求めるなかで悪が混じってきてしまい、その悪を(流れのなかで)引き受ける決意をする、ということ。(それは概して「笑える」「滑稽な」ものだったりする。)
ロミオとジュリエットは「純粋な愛」を求めるが故に他人にも悲劇をもたらすし、慈悲で殺さずに逃がした子どもがのちに自らを殺しにやってくるオイディプスみたいなことは「ありふれている」と言ってもいいくらい。それがわれわれの「日常」でしょ?)