錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

カラミ稽古、なんでもありな場所で「これしかない」をしちゃうこと。

きのうの「はしゃぎすぎ」のせい?、午前は寝てる。
頭を冷やして、夕方から稽古。
今日は近所。(俺は、、、。)


半月ぶりに「室内」での稽古。
予想はしていたけど、思ったよりもずいぶん「空気」がちがう。
さて、個人的にはすでにネタ的なものは尽きている状態。
もう10回以上やってるもんな、たぶん。
方法(喋る・動く・黙る・歌う、などなど)的にも、内容(テキスト)的にもスッカラカンに近い。もちろん、細部が大切なわけで、繰り返すのもいいことだから「飽きている」ということでもないし、もう飽きているというならば「先」はないんだけど。


ひさびさなので、せっかくだし、化粧をし、照明も使う。限られたスペースだけど、使い方もちょっとだけくふうする。


最初に「暗ったい」「告白調」のものをやったせいか、全体に調子が暗かった気がする。
ひさびさの「中」のせいか、、、。


「キャラづくり」に走っているとメムバのひとりが言っていたとおり、それなりの水準を維持しつつも、停滞感がある。「それなりの水準を維持しつつ」ということはすぐれたことだから評価すべきなんだけど。(これについては昨日も同じだ。)


昨日に続いて、からみ稽古。
最初は俺も参加。次に、抜きでやる。
けっこう「言えること」が多いことに気づく。
ただ、やってるほうは「時間を埋めることはカンタン」なので、スカスカ感が自分たちでもあるみたい。もちろん、見ていてもスカスカなんだけど、それはそれでいい。
けど、そこから何を取り出せるか、、、つーことだ。
からみ稽古みたいな(なんでもあり、かつ、流動的な)場所で「これしかない」というレベルの動きと喋りができる(関係が生成する)といい。ま、そんなカンタンにうまくいくことはないんだけど、その萌芽を感じ取れる体感を他我に持つこと。


それでも、はじめてからみ稽古やるメムバもいて、思うところはたくさんありました。
終わったあとの発言からすると、やっていたほうよりも見ていたほうがいろいろ感受していたようだったけど。まー、やりながら「見る」のは無理だしなー。
ともあれ、気長に、つーか、じっくりいきましょー。