錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

散財する話、壊れる敵役・山崎先生、不穏を助長するブログと夢と雨。

なんか、この辺りの日々の記憶はあいまいだ、、、。


キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読み終えた。
ずいぶん前に何度か読んでいて、一節をちょっとした芝居に使ったこともあるというのに、まったくといっていいほど覚えてないところが我ながらすごい。もろちん、読んだ瞬間「あー読んだよ、これ」と思うんだけど。
2泊3日の凝縮した話だったんだと改めて認識するとともに、夢遊病のように「散財」する話、放浪しフラフラする話なんだな、と。
ちょっとオースターを思い出した。彼もやはりこれを読んでいるんだな、と。
「青春群像」みたいな言い方でくくられることが多い気がするけど、やはりこれは「暗い話」だ。自殺願望者として書かれてるといっていい。本人は「そんなこと(自殺なんか)に興味ないよ」と言うだろうけど、無意識のうちの願望者、、、として主人公は設定されている。
なにより、「散財」という部分がとても気にかかった。
今度の芝居をどうつくろうか、、、と関係してるからだと思う。


漫画アクションに適宜連載されている、武富健治さんの「鈴木先生」第4弾の後編も読む。
毎回それなりの敵役は出てくるんだけど、今回の「山崎先生」のような明瞭なのはなかったように思う。ずいぶんと、思い切ったな、と。風俗に通っていて、うんぬん、とか、そうとう俗っぽくしてる辺り。
第1弾から断続的に出てくる「小川さん」に何を託しているんだろう、と、ふと思う。そうとうでかいキャラ(何度も出てくるし)なんだけど、すごく象徴的にしか書かれてないし。
恋人が鬱っぽくなっちゃったり、その他いろいろ、今回は(いろんな意味で)崩壊の前日を思わせるものが多かったけど、ラストのコマは編集者からの提案か、本人の意思か、はわからないけど、らしすぎて、でも漫画は「暗ぶる」よりこういう「らしさ」がずっと奥行きを持つんだ、と思った。(そして芝居もそうだな、と、、、。)


ブログ「ねこばん」にまた不穏なことが書いてあった。
んー、からまれたい(かまってほしい?)症候群?みたいな感じ。
そもそも、「楽日はうんたら、と人から聞いた」という風に、聞いた話から話をはじめるのでは話にもならない。最低も自分で見た話でないと、、、。
病が深いのは悪いことばかりではないけれど、発言が浅井いのは単純にダメだ。


寝ているときにパンツを脱いでしまう癖がある。昔はそんなの、なかった。
昔、そんな人がいて「アホか、こいつ」と思っていたけれど、いま、自分がそうなってる。
で、それは現実の話なんだけど、夢のなかで、寝ていてパンツを脱いでいた。で、顔に血がついてる。鼻血? 殴られた?
この辺りの数日に不穏な夢を数回、見ていたように思う。メモしておいたんだけど、いま見ると、何が書いてあるのかさえわからない。
電車に乗ってる夢、(かつてはめったに見なかった)芝居がらみの夢(場面)も多い。テントを建てているのを見ていて、知っている顔がどこにもなくて不思議に思って、、、このあと不穏な展開になるんだけど、忘れた。ただ「不穏さ」の感触だけが残っている、、、。


たしか、このころは雨が続いていたように思う。梅雨だからとうぜんなんだけど。
で、走りにいくのもやめて、スーパーに行くのもやめて、ジメジメした部屋でサッカーを見てる、夜中。それほど厳密には見ていなくて、うとうと見てる。
でも、名前と戦前の評価とは別のいい試合(逆に、名前負けしてるトロイ試合)、というか場面を何度も見る。そんななか、レフリングはやはり「名前」と関連してるんだな、と思うことしばしば。そういや、すべての評価はそうだ。芝居も。それは否定してもしかたのない事実。
サッカー選手はただゴールをねらうだけ。1点取ったら、評価は変わる。そんなのも同じだ。