錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

うつらうつらの7月2日。

厳密にいえば昨夜、深夜の1時半ころに連絡を受けて病院へタクシーを飛ばす。
計器にシメされている数値は昼間見ていたものとは一変している。
40度あって「こりゃねーだろ」と思っていた体温も34度近くまで下がっている。
15分ごとに更新される数値を見つめる時間。
すでに覚悟は決めていて、いろいろと話す。
ヘラヘラモードも含めて強迫症的会話も2時間を超すと尽きてくる。話題が、というより、われわれの状態が。
夜が白々と明けてくるとともにうつらうつらしているのは正面に座っている人もいっしょ。


だけど朝の6時を前にして、計器は微妙な数値を示しはじめる。
看護士の、いろんな日常的な処置をするのであちらでお待ちいただけますか?、のひと言でロビーのようなところへ行く。なにかあったら呼びますので、そこで待機していてください、、、。
まだ誰もいないロビーで肘掛けのない椅子をみつくろい、並べ、横になる。
さっきまで正面に座っていた人はテーブルにつっぷして仮眠?
ガーガー寝たように思う20分ほどを過ごして顔を上げると、相方はノートを広げている。その意味を解さぬまま、安心し、さらに寝る。


入院患者の朝食室(おそらくリハビリを兼ねていて、病室以外でとらせようとしている)をとしても使われるロビーの片隅で(さすがにガーガー寝てはいられなく)なおも待つ。
「人が死ぬのを待っている」というのはとても不思議なものだ、と思う。
「喪服を用意しないとな」とも思う。数年前の事件で礼服が手元にないことにも思い至る。
「故人のものを借りよう」とも思う。


夜が明けるのと比例するように計器の示す数値は上がる。
「先生」が「あやしい数値は回避したから、とりあえず詰めるのをよして帰るのがいい」とのたまう。
寝ている当人はもちろん、なにかを喋ることはない。


また恐怖の夜を覚悟して、それぞれ帰宅する。
夜はこわいものだ、と改めて思う。し、覚悟する。


その日は、広げるものの作業をするために場所を貸してくれ、と言われていたのだった。
帰り、場所を空け、待つ。
その人は来て、作業する。
こちらは、かかってくるかもしれない電話を待つ。


睡眠が不可欠なタイプの俺は気付かぬまま、うつらうつらしている。(ガーガーしている、といった
ほうがあたっているか、、、。)


「魔」の1時半が過ぎる。
この日はサッカーやってたんだったかなー。


気付くと、夜は明けている。
感謝。