錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

「安定」と「待つ」こと、遅々としてしか進まないこと。

実は、2日の日記を書いたのは(そして、この4日の日記を書いているのは)7日の未明。


3日と4日について。
病院に行く。
感傷的なことから事務的なことまで、、、いろいろと話す。まとまりつかないけど、話す。


あ、思い出した。記憶が混濁しているんだな、と思う。
2日に、親父に孫たちを面会させたんだった。反応もしない、口にチューブをつっこまれているんだから、子らはひとりではこわかったかもしれない。いっせいに会わせた。それは病院側の意向でもあったんだった。子らには「わかっている」のと「わかってない」のがいるようだった。だけど、なにが「わかっているか」なんてあやしいもんだと思う。


そして、その後、散会し、俺は少しばかり残り、数値の安定を確認し、昨夜の危機脱却を心にきざみ、帰宅したんだった。


で、そこで(2日に)聞いた授業参観というものに3日はおもむいたんだった。
こんなときに。こんなときだから?
出向いたそこは(やはり?)なかなか興味深い場だった。


その行き来のさなかにおばから電話をもらいながら、病院に帰ると、やはり「安定」している。
2日の日中よりも数値はいい。
で、しばらくして、帰る。
そして、また電話を待ち、夜が来て、なお待ち続ける。


幸いなことに4日も同じようだった。
実家に行き、感傷的・事務的・実際的・未来的・観念的、、、な話をする。
遅々として進まないけれど、少しずつ感触を得ていく。
親父の部屋を「あさる」。まさに「あさる」。
病院に戻るときのうに続いて、「安定」している。
午前には「身体の機能そのものは(最悪の状態と比べたら)回復している」と告げられたらしい。
パット見、寝ているのと変わらない。
穏やかな顔。


また、帰宅する。夜のこわさが減じているのを自覚する。
そうして、4日は終わる。