錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

記憶の錯綜。「鹿鳴館」「サド侯爵夫人」。混乱。

2カ月に一度ほどしかない仕事の会議の日。
そのあと、飲む。
葬儀以来、芝居メムバ以外の人とまともに会い、話すのは今日がはじめてであることに気付く。
、、、何日経ったっちゅーねん。
あ、大家さんとは10分ほど話したか、、、。


なかなかこわい現実であり、生活スタイルだ、、、。
プラス、出無精(ひっきーノリ)になっていたんだなー。
そっか、それにたまってた仕事なんかや、テキストからみで、自分から引きこもろうとしてたんだったっけ。


人は死んだあとが大変(残った者にとっては)、ということについては書いた、気がする。そのうちのひとつ、口座をつくった、やっと。振り込みも済ます。
三島由紀夫の「鹿鳴館」と「サド侯爵夫人」購入する。
通販で本が届く。、、、買った覚えがない、、、。
なんなんだ、、、。
老化? つーか、頭がいかれたか。


あー、思い出した。
きのうは映画を見たのだった。(いままで忘れてた。)
火曜日は何をしていたんだろう。


、、、ちょっと恐怖。


そうだ、「石」のことも調べ、かつ、調査報告ももらったんだった。
そうだ、昨夜は「あのことは知ってる?」と言われたのだった、、、。


記憶が錯綜している。


芝居を成立させるためのもろもろを「やらねば」モードばかりが高まって、できない。とりあえず、テキストからみ以外のものを「投げてしまう」宣言をするべきなんだろう。
人がいろんな思いや悩みをかかえていることは(なんとなく)想像できる。だけど、その中身はまったくわからない。何を、どんなふうに思って(感じて)芝居に参加しているのか、まったく理解できない。そもそも「やりたいか」さえわからない。「やる」には「何が必要で、何をしなくちゃいけないか」という観点があるのかどうかさえもわからない。
自分の混乱が、じわじわとシミのように広がっている感じがする。
まいったね。
とりあえず、やらねばならぬ、できることを、手前から、片付ける必要がある。


(現実でもネットでも電話でも)人あたりがよさ過ぎる。不自然なくらい。
なぜこんなにニコヤカなのか。これは芝居の悪癖なんだろか。


いやいや、寝よ寝よ。
へたな考え、休むに似たり。
明日はダンス、明後日は稽古。、、、稽古の前に何かを言わなくては。
隙間に仕事を(最速で)片付けて、、、少し走ろう。


そうそう、洗濯もしたんだった。
梅雨もそろそろ明ける、らしい。(せめて日記らしく終わろう、、、。)