錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

少人数稽古を経ての通し読み、その2。

今日も全員がそろうのは夜。
そのぶん、昼は個々の場ができるんだけど。
集中して(ちょっと嫌んなるくらい)読むと、別の世界が見えかけてくる。


やっぱ、稽古はやったらやっただけ、、、というのは真実だ。
やったらやった分、明瞭に出る。
まあ、まともな稽古をしているということなんだけど、うー、時間不足に対してはかなり、焦り気味。まだ30日はあるんだけど。でも、俺は台本ができて、役者がセリフ覚えて、それなりに動きが定まったら、ま、よし、、、というノリにはどうしてもなれない。
そんなんをやって、あるプラトーに立って、そのうえで「別の世界」に行ってほしい。し、それを見たい。それなりにはやれる、んだろうけれど、そんなのには興味ない。
驚きたい。4カ月の稽古を経てきたわれわれには、まだ埋もれているものがたくさんある。稽古(時間)は嘘をつかない。


今日は、きのう飛ばしたソロシーンを入れる。その分、前半を省略する。
むー、やはり、省略いると、よくない、、、。
、、、お、やっと時間が経つにつれてリズムが出てくる。
ソロシーンはひさびさだ。やるのも、見るのも。
おー、かなりグッとくるものもある、、、。もう少し気をつかうとぜんぜんよくなるのもある。
その直前のシーンがかなり決まってきた(腰を据えてセリフが言えるようになってきた)のがでかいのかもしれない。
やはり、芝居は感染・伝染するもんなんだ、ホント。
音楽もきのうよりはさらに整理して、挿入する。流したい音楽があったんだけど、それは機材の関係で断念。
照明操作を担当してくれるスタッフが見てくれていて、笑ったり、咳をしたりしている。ふむ、ふだんいない人がひとりいるだけで(やはりといえばやはり)ずいぶん役者は変わるものだ。客(見てる人)が少しでも反応すると、役者はものの見事に影響を受ける。ま、あまり影響受けすぎはダメなんだけど、、、。


やはり、昨夜やって、連夜、、、ということはある。
ただ、なんとなくセリフが入っていて、セリフに腰が入ってないところは、見事に無惨。
そういうのが自分でわかるかどうかがポイントなんだけど、ま、なかなかそれは体得できない。


いろいろ見えたので、また少人数での場で詰めよう。
雨のなか、もうひとり覗きにきてくれた女性がいた。どもども、また覗いてください。


きのうよかったシーンは今夜もよかった。
たいして高度な決まり事とかはないんだけど、関係が定まっていて、腰が据わっていると、、、見れる。芝居は最終的には細部だし、細かいな技術がそれを支えるんだけど、役者が(その人が)そこにいる、という圧倒的なありようこそがそれベースになるんだと思う。
セリフ忘れてても、見場がちょっと悪くても、そんなことよりも重要なことは、やはり、ある。