錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

芝居は具体化・即物化・明確な対象化、人間も含めたブツとの関係。

夕方、稽古に向かう前に、劇場ストアハウスに行く。
フィジカルシアターフェスティバルにチラシを入れてもらうため。
あと、あいさつをしに(話をしに)行く行く、といいながら、行っていなかった、あいさつのため。


もっと緊迫感あふれてるかと思ったけど、けっこうのんびりいい雰囲気。
チラシを入れようとすると、すでに代行業者がセッティングをしてある。うー、そういう時代なのね、、、。機能性にすぐれたケースに入っているそいつのいちばん後ろにチラシをはさんでいく。
昼間、ゲネをやったらしく、寝ている人間もちらほら。無理もない。


作業を終え、軽くあいさつし、稽古場に向かう。
今日は少人数稽古。


かなり進んだ。というか、展開した。
セリフの入りはまだ半分、、、くらいだけど、立った状態をイメージしてみて、と、少しずつ進めてみる。ひとつの「物・ブツ」を使うことにする。おー、ブツは効くなー。ぐんぐん変化してくる。石との関係も生まれてくる。
ふうむ、顔つきまでもちがってくる、、、。
これで、一昨日あたり「長すぎなんじゃ」と言われてしまったこのシーンも、そうは言わせない状態になったはず。驚くほどちがう。
おもしろいのは、やってる役者そのものが「驚いてる」ふうに見えること。
こういうことなんだよね。芝居は具体化・即物化・明確な対象化なんだ、、、と(もう何度思ったかしれないことを)改めて、思う。こういう瞬間は、覚えてるつもりでも、体験してしまうと「忘れていたことに気付く」もんだ。


たぶん、やてるほうはそうとうくたびれたはず。
ま、稽古ってそういうもんだし、、、、と、やらない立場の俺はうそぶいておこう、かな。
稽古にかなりどん欲な自分を発見する。
自分は出ないシーンの稽古を見る、、、という効能はかなり高い。だけど、それをする余裕はあまり、ない。でも、「見る」というのは勉強になるんだよな、ホント。
「ちょっとこのシーンは寝かせておこう」という発言があって「寝かせる」ってどのくらい伝わるだろうなー、と思った。これ、かなり重要。
見る、とか、寝かせる、とか。
でも、稽古場に来ると自分が目に見える稽古をしたくなる、それもわかる。
むむ、ジレンマ、、、。