錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

「いき日記」ブログからの転載、、、。

二度見た。
一度目は,なにせ「芝居になっていること」それ自身が他人ごとながら嬉しく,祝福モードでこれといって文句もなし。なんといっても役者が馬鹿に見えない。「やらされてる」感が(ないわけではないけど)背後に退き,自分がしてることの意味,いいことも悪いことも引き受けようという,メンバーひとりひとりの覚悟を感じる。
二度目は,これじゃいかんと思い直し,「その先」を考えながら見たおかげでいろいろと文句も出てきた。
言葉が弱い,ということがまず。どの役者も悪くはない…というよりかなりイイとは思いながら,「まだできんだろ」と。長短ヒットは出るんだが,勝負を決めるあと一本が出ていないという感じ。
ジュネとか,文脈でひっぱる言葉ってのはどうも強い言葉なるものとやはり矛盾しているのかもなぁ。
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それと,ここぞという台詞で役者の呼吸が浅いんじゃないか。台詞を速く言うように演出が入ってるのかな。もちろん「速く強く」がいいんだろうけど,実際には速く言うことと呼吸を深くすることは多くの場合なじみがよくない。
打ち上げで元「ど」のOちゃん(いま舞台監督とかしてる)に「ミッキーやミニーはリハーサル,打ち合わせでも完璧にミッキーでありミニーだ!」(その役を絶対に降りない)という話を聞いて思ったことがある。
この芝居,「役」としての立上げがきわめて弱い,というところも特徴だと思う。舞台上の彼らと打ち上げの席の彼らにさほどの距離がない。これが言葉が弱い,呼吸が浅いということとの関係はちょっとおいておくとしても…。
ああいう設定…というか物語は,役をがっちり背負った役者のたったひとつのアクション…振りかえる,とか…で見せられる。見せられるハズダ!見せられるノダ!という気概を持てたら素敵だ。

かずみちゃんの一人台詞はえかった! 見せ所がもっと際だつといいのに。このネタ,使い捨てずにもうちょっとひっぱってみたらなんかまだ出てきそう。
健太くんの一人台詞(障害者用トイレのくだり)もなかなかだった。日常的でありながらなんか奇妙,気持ち悪い。この芝居のなかでこのシーンだけが「役」への傾きを持っていて,異彩をはなっていたと思う。