錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

11/25ころに書いたメモを以下に抜粋、、、。

11/25ころに書いたメモを以下に抜粋、、、。


 稽古の最後のほうで「すでに、かなりまともなものになっている。でも、そこからが勝負だし、問題なんだ」と何度か言ったと思う。それはこういう意味。それなりの構想のもとに台本がそれなりにできていて、かつ、稽古がそれなりになされていて(セリフがきちんと覚えられていて、段取りがらしく決まっていて、それらが実行できていて)、かつ、役者の「よい顔」がちらほら見えてきている、、、ということ。そのときも言ったと思うけど、これだけでもかなりの価値。これができている上演というのは実はそれほど多くない。それだけでもそうとうの自信を持っていい。だけど、問題は「その先」なんだ、、、ということ。
 こんなことも言ったはず。「その人のやりたいことをやるしかないんだけど、やりたいことをただやられても他人は感動なんてしない。ヤリタイの質がちがうものにならないとダメだし、そのために何カ月も(逆の意味で)自主稽古をしてきたんだ」みたいなこと。


 さて、今回の芝居はかなりよかった。楽日がベストだった、というのもすばらしい。途中、「誉められるはずだから覚悟しておけ」みたいなことも言ったと思うけど、いろいろと誉められたことと思う。今回の芝居はそれに値する。俺は、他人がほめてもけなしても「この芝居のいいところもダメなところも俺がいちばんわかってるんだよ、何時間稽古してると思ってるんだ、ボケ」みたいに思っている(たちの悪い)タイプで、ほめられりゃうれしいけれど、ほめられなくともあまり気にもしない。もちろん、ほめられても自分が忸怩たると思っているところはけっして消えないし天狗にもなれない。俺がいいと思っているところはよくて、悪いと思っているところはダメなんだ、という唯我独尊タイプ。その俺が「かなりいい」と言ってるから、いい。ただ、今回はまわりの評判もいい。これは大切なことだ。俺にとって、というより、役者にとって、、、。今回の芝居はかなりよかった。そう自覚し、自信を持ってほしい。自分と、自分たちに。自信は次の飛躍のための土台になりうるから。ま、慢心にもなりうるところが笑えるし、笑えないんだけど。


 その前提で「ほめてない?」発言を注視すること。


 この芝居、「物語」を背負う部分と自主稽古をベースとしたソロシーンが「等価」になっていて、お互いがお互いを牽引するようでないとダメ、と何度も言っていたことを覚えているだろか。牽引しあって、どっちがどっちかわからなくなる、、、までが、もくろまれていた。そして、そこまではいけていない。物語、つまり「役」の話。「役を引き受ける」ということについても、けっこう前だけど、しゃべった記憶がある。これも昔の話だけど、聞かれて、玉三郎の「あら」と、ひと言だけいう場面についてもしゃべったことがある気がする。
「ひとつのアクションですべてがやってのけられる、世界が一変する」という例として。


「みんながむばってるねー、いい芝居だねー」と言われるのはうれしいけれど、実は俺はそれでは我慢できない。口があんぐりあいて「ああ」と言って帰っちゃうくらいでも(くらいのが)いい、のかも。なにより、俺が驚きたい。この人らってこんなだったのか、と、、、。


客を入れるためのアイデアを出し合おう。
まとも芝居だ。見てもらおう!