錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

流山児事務所07若い公演「金玉娘」を見て、複雑、、、。

知り合いが「知り合いが流山児事務所にはいったから見にいってー」というので、せっかくだし(?)流山児事務所07若い公演を見にいくことにする。最近、知り合いのでないと見ない傾向があるので(知り合いがらみだけど、知らない人なので)いいかな、と。
プラス、20年近く前に、流山児事務所に知り合いがいて(実は、いまも在籍中)その彼が出ている若手公演を大久保の変なスペースで見たことがあってけっこうよかった記憶があったし。たしか「寺山もの」だったと思う。


今回は黒テントの作家。「売り出し中」らしい。
でも(もちろん、俺には)ダメだった。
なにがだろう?
役者たちはそれなりにしゃきしゃき動いてたし、せまいスペースでそれなりにくふうしてやってたのに、、、。前回の対比で考えようとしたけど、いかんせん、前回は昔の話。


たぶん、軽すぎると感じたんだと思う。なんで、そこにいるのかわかんない。なんで、そんなことやって、そんなこと言ってるのかわかんない。
あるいは、軽さが足りなすぎるんだと思う。別に、重量感なんて求めてないんだから。
みんなが楽器を持って、あわせて歌ったり、細かい出入りをやったり、いろいろやったるし、稽古もけっこうしたんだろうな、とは思う。けど、なんなの?というのは消えない。
「へた」とか「うまい」とかでない、「重量感」とか「軽妙」ではない、なにか「やらんわけにはいかんのよ」みたいな、そんなのがにじみでてくるみたいなのが、ない。


技法(パターン)があるのは悪くない。それが高まるのはさらに悪くない。
のちのちは、有名で大きな舞台に立つ、テレビドラマや映画に出るあるいは、高額でなくともギャラをもらえる俳優になる、テレビの再現シーンなんかで気の利いた役者として出る、、、そういうのをねらってるんだろうか。(でも誰が? 流山児? 彼ら自身?)
もちろん、そういうのも悪くない。まったくもって悪くない。
そういう人たちで、俺が好む(映画やテレビや舞台でキャーっていう)人もたくさんいる。「成功」して(俺も含めた)客を楽しませてくれたらうれしい、とはホント思う。
ただ、俺が芝居を見にいくのは、そういうノリじゃない、、、。


もっとバカバカしくて、意味ねーなー、アホか、みたいなのを(たぶん)求めてる。


まあ、でも、多くの芝居はそうじゃないんだよな。
知り合いでもそういう人、いっぱいいるし。


そういうのを否定してるんじゃない。
いろいろあっていい。
ただ、今回は(俺は)ダメだった。
心がせまくなってるんじゃないといーなー。
同時に「いいものはいい」(驚いちゃうものには驚いちゃう)という、基本原則がどこでも通じるといーなー。だって「らしくつくられたもの」はどんなジャンルで、どんなスタイルでも、やっはり(俺には)ピンとこないから。


あー、玉三郎の歌舞伎でよかったのを思い出したー。
秩父の高校生がやった別役ものを思い出したー。


うー、わからん、、、。