「日本前衛舞台芸術者協会準備会」の集まり。
「俺の、俺たちの、錦鯉タッタのどこが前衛だよ?!」という意識を常々持ちつつ、かつ「民衆演劇こそが前衛なんだよ」との信念のもとに重い腰をあげて出かけた。
会議の場で、そのあとの呑みながらの場で、話すとおもろいことは多い。でも、引っかかるところもある。まあ、どこの場に行っても「ぴったりくる」なんてのはないんだから特筆するにはあたらないんだけど。
「前衛」という形式があるのではない。
それによって生きる希望がかいまみえて、現実とはちがうもうひとつのありえたかもしれない現実ほ想起できて、自分ではけっして実感できない他者へのシンパシーが見えるかもしれない場所。それが前衛なんだと思う。けっして「前衛」というスタイルがあるんじゃない。
稽古のなかでグツグツやっていって「あー」と断念しながらも「なぜか続けてしまう」(しまわざるをえない)関係のなかにのみ、宿るのかもしれないとも、、、。
それは喜びと切り離されることはないはずのものだけど、ただ楽しいだけのものではさらさらなく、うれしくも悲しく、しんどくてつらくもドキドキワクワクのものであるはず。
未見にシワを寄せて(わかったかわかんないかわからん顔で)悩むそぶりとはちがうはずだ。ついつい、自身がそんなそぶりに逃げてしまうことの戒めも込めて、重い腰と重い頭を抱えてハツラツと稽古場に行くことが大切なんだ、と強く思う。
あー、合宿、明日からじゃねーか、、、。