錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

「安穏。加害者と夫、その妻とその意志」チラシに載せたネームです。

心がボロボロだから、文章を書こうとしても分離してしまいます。


アルゼンチンの作家マヌエル・プイグが書いた『蜘蛛女のキス』という小説がある。ウィリアム・ハートが主演した映画のほうが有名かもしれない。刑務所の中での2人の男の話。中年の同性愛者と若い共産主義者。はじめ互いにこころよく思っていなかった2人の心と身体が交錯していく話。けれど実は同性愛者は共産主義者から情報を聞き出すために警察当局から送り込まれたスパイだったという話。
この話の枠を借りる。今回の芝居では(現実にはありえないことだけれど)殺人を犯した女と主義者であると自認する男が同房となる。男は看守と通じている。そんな設定。監獄の中でできることは限られている。同時に、監獄の中だからこそ肥大化するものもある。たとえば妄想。あり得たかもしれない、別の世界を希求する気持ち。
小説でも映画でも、同性愛者は共産主義者に延々と映画の筋を話してきかせる。数少なくできることがオシャベリだからかもしれない。もうひとつ、この小説に「地」の文はない。会話だけ。そして、少しばかりの妄想。これも参考にさせてもらう。無駄話と沈黙と瑣末な日常動作、そして妄想の発露。
おそらく芝居自体は参考にさせてもらう小説とも映画とも遠く離れたものになると思う。


今回、MSAというフェスティバルに参加します。MSAはメンタリー・ショッキング・アーツの略。ところで、お芝居を見るのは極論すれば「豊かで楽しい時間を過ごすため」と言っていいと思います。でもそうすると「豊か」って?「楽しい」って?という話にもなってきます。エンターテインメントとして見て、嫌な日常をひととき忘れよう、というお芝居は多いと思います。料金は高めだけど、高級感のある劇場で、みたいな。わたしたちはそれとはひと味ちがうものを考えて、日々の稽古をしています。お客さんに嫌な思いをして帰ってもらおうとは思いませんが、なにかちいさな違和感を(ちいさな喜びとともに)持って帰ってもらえたらな、と。今回「心が驚くような芸術」(MSA)をつくろうとしているわけですが、もちろんカンタンなことだとは思っていません。ただ、金があるわけでもない状態で、働きながら可能な限りの時間を稽古につぎ込むなかで、上手さとはちがう、下手かもしれないけれど「役者の個別究極的な身体のありよう」を探そうとしています。それをお客さんに提示したい。さらしたい。そんななかでわたしたち自身もさらに変容していくんじゃないか、、そんなことを想像しています。


ホームグラウンド新小岩劇場から遠く離れた「神楽坂ディプラッツ」でお待ちしています。