錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

「稽古場の借りてきた猫日誌」さんと「角田さん」のレビュー。

以下、「稽古場の借りてきた猫日誌」から、転載させていただきました。
感謝。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ガソリンのまぼろし
錦鯉タッタ 「安穏。加害者と夫、その妻とその意志」
構成・演出:山田零
@神楽坂die pratze

 内容、だとか、必然性、だとか、それを理解できたかできなかったかで言えば、まず理解はできていません。ただし、その理解の防波堤を乗り越えてやって来た何か洪水的な感覚、については一滴残らず浴びたつもり。「まあ普通そうなるよね」という展開などなく、声嗄らした役者のためのブレイクタイムをも挟みながら、どこにも着地しないまま逆放物線描いて天上遥か飛んでゆくダイナミック・スイング。

 タバコにランタンにカセットコンロと、本火使いたい放題の演出で知らず知らず刷り込まれていたのかもしれませんが、どうみてもただの水だろうとか、本当にそんなことするはずがないだろうとか、いくら頭でわかったつもりでいても、それでも、床一面にぶちまけられた液体にライターでそっと火をつけようとしたあの瞬間に全身を恐怖と高揚が同時に駆け抜けた馬鹿正直な僕の体は確実に「演劇」を観ていたんだと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして以下、角田さんのブログにあった(一行レビューより)やや長いレビュー。
感謝。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前作、島尾敏雄『死の棘』の二人に、プイグ《蜘蛛女のキス》の設定が重なり、役者個々が自主的に作り出したパートが監獄の日課という枠組みの中で劇に挿入されてゆく。

男にとって妻は死んでおり、女は夫を刺すなどして収監されているらしい(のではないか)。作家である男は、相変わらず、看守に、奇怪な理由でたて突いている。愛情の薄い現代に置き換えた『死の棘』の後日談か。

劇の次元が移って、今こそ通読してみたいような事が書かれていそうな《共産党宣言》のさわりが読み上げられ、左翼のヴィーナス(?)あるいはミホ(藤島かずみさん)が柩から蘇る。しかし柩ははじめから監獄の中にあるという。

新プロレタリアチックというか、独特なモノの扱い。紐で結わえられた文庫本の束とか、ゴムの靴裏を触るとか、タオルをずらっと干したり(人によって仕上がりの形が違っていたり)。

藤島さんの過去の評判を取ったパフォーマンスが、ちょっと形を変えて、二つとも見られるお得な舞台でもある。全体的にちょっと他人行儀(?!)な、ダイジェスト版的作りになっているかも知れない。