希少本。ひ弱とスマート。日暮里。「村の家」と、どたんば。
きのうは曇ってて、少し霧雨が降ってる感じの一日。
劇団どくんごの「どいのさん」ちに行く。
引っ越すらしく「本を引き取ってくれないか」とのこと。
劇団どくんごはテントで旅芝居をしている、いまとなっては数少ない劇団。来年は5月から11月まで、半年間、テント旅芝居をするらしい。かつて所属していた(最初のテント購入には少なからず貢献したんすよー)私から見ても、立派な集団。
30年以上前にかき集めたらしいボロボロだけど、価値ありまくりの本の束を見る。ただでさえ整理できていない我が家のことを考えると「いただく」余裕なんてないはずなんだけど「もらってもらわなかったら捨てる」との発言を聞き、貧乏性の性癖もともなって、ひたすらいただくことに。
さて、読むのはいつのことになるのやら、、、。
つか、整理して本棚に並べるのはいつのことになるのやら。
かなりの希少本もある。60年代後半から70年代はじめの本を見ると、体裁もそうだけど、内容も「時代」を感じる。なによりパワーがある。スマートさなんかどこ吹く風、メディアのあり方が現在より素朴だったことも大きいんだろうけど、つぎ込まれ方・偏執度があまりにちがう。現在としてはかなり偏執的であると自覚してる身から見ても、ちょっとショックだった。ひよわな自分、ひよわな現代。なんか、とってもありがちでチープな言い回しで情けないけど。
夜、日暮里に行く。
先週も錦鯉プチのミーティングで行ったから、なんか日暮里づいてる感じ。
居酒屋「万代」で先週に続き、飲む。
帰る電車の中で、中野重治の「村の家」を思い出した。
実際にそのものを読んだことはないんだけど、いろんな人が引用して言及している戦前の小説。言及していたのは吉本隆明、柄谷行人、加藤典弘、、、笠井潔もだったかな。
主に「転向」がらみで言及されることが多いんだけど、思い出したのは「どたんば」の話。
自分がどたんばに立ったことがないことを忘れまい、と主人公が決意する場面が確かあったはず。俺もいろんなことをやってきて言ってきてそれなりの経験(修羅場)も積んだはず(人生の半分はとうの昔に過ぎている)なんだけど、「どたんばに立ったことがない」ことを忘れないようにしないとなー、と改めて思った。
青年ではないけれど、、、老を受け入れることを拒否するわけではないけれど、、、自らのいままでをただ否定するわけではないけれど、、、ただそれをよしとして生きていくわけにはいかないな、と。