錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

新井薬師から徒歩3分、最近できたらしいスペースに行く。

新井薬師から徒歩3分、中野から徒歩15分にある、最近できたらしいスペースに行く。
会津三島町でのフェスティバルの東京での発表会。(スペース名も、フェス名も失念。失礼だなー。たしか、MMAC、、、?)


月曜に続く2日め。
スペースはけっこうすてき。おしゃれ。
発表は、韓国の人の映像(生演奏付き)、そこのスペースの主でもあるらしい人たちによる音とボイスと動きのパフォーマンス、ポーランドの人の映像、花上直人さんの踊り(と落語)。


みんな悪くないんだけど、もの足りない。
なんでわざわざ日本に来て(こんなところで)やってんのよ、という感じ。よい意味でも悪い意味でも「うざったく」ない。そのなかでは小屋主の人らのは(俺の趣味にはあわないけれど)うざったさがあってよかった。「表現」なんてものは最低でもそこからはじまるだろうよ、と思う。(要するに「無難」なものに対する違和感、、、。)花上さんについては「ネタ」が既知であったせいも含めて、点がからい。最後にはうまく感動させるんだけどナニサという感じ。(要するに、百倍いい同じ行為を俺は見たことがあるから、こんなんじゃ納得しない、、、。)


終了後の(主に英語による)「歓談」も悪くない。それは似た局面でいつも思う。でも、でも、だ。浅い、浅すぎる。おそらく、その浅さが「芸術」を続けていく秘訣なんだと思う。だけど、あまりにも浅い。似た(別の)局面でも思ったけれど、スタッフのがんばりだけがめだつ。ほぼ無給で(むしろ持ち出しで?)やってるんだろうし。だけど、それでいいんだろうか。


台風だったのか、かなりびしゃびしゃの雨が降っていた夜。
まじめでまともに人に集まりだったと思う。ほぼ「仲間」のなかで、わざわざ出かけていった俺もかなりまともだ。でも、「まとも」なだけじゃダメな状態になっているんじゃなかろうか。悲惨かもしれないけれど、そこから一歩踏み込まなければいけない事態に。


まともな人らがまともことをしようとしているがゆえに(自分事も含めて)いらだつ。