錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

雨、ブログの見直し、思い出した書籍、気付くと、朝。

雨。
しとしとと冷たく、雨の1日。


そんななか、仕事に専念する。
おおっー、さすがに(寝だめってできるのか?)進む。嫌々ながらもガッツで進める。
、、、やればできるではないか。


で、20時間ぐらい寝ないでいる。と、仕事が混乱してくる。
それはまずいので、あいまにネットをフラフラ。
でも、あきる。
なので(暇だなー)この日記を頭からザッと見直す。
見直すといっても、最初の1週間を過ぎるとあきるので、1日にどのくらい書いてるのか、改行も含めて「図」として見続ける。
スカスカ過ぎもアホみたいだけど、ツメツメはやはりよくない、と思う。
にしても、文体、一貫しないなー。
(流行り廃りがあるのが自分でもわかる。ま、内容もだけど。)


文体というか、呼称がとくに一定してない。
最初のころは本なんかの題名もいい加減、テレビはなおさらいい加減、作者も明確にせず、、、といった案配。人名はさらにひどい。イニシャルやら、イニシャルに「さん」をつけたものやら、におわす言葉(ラッパーさん、とか)やら、そのものずばりやら、、、。
そうだよな、そういや、最初のころは日記そのものをクローズにしていた時期もけっこうあったんだった。
オープンにしたり、クローズにしたり。
どこまで書いてオッケなのやら、と思っていたのだった。
日記のタイトルもプロフィールも数度変えたし。


なんで、こんなことを書いてるか、というと、最近あった芝居がらみでいろんな人と再会したり、メール交換したりして、2人あるいは3人しか見ていないと思っていたこの日記を少なくともあと2人は見ていることを知ったから。
その2人にはまったく情報を送っていないから、こりゃ「どうせ誰も見てないんだから、いいや」というわけにもいかんな、と、、、。


で、丑三つ時さえ過ぎた夜中に他の人のブログなんかも眺めていて、、、あー、みんななんでいろいろ仕掛けとかデザインとか(カウンタとかリンクとか写真とか)まともなんだろー、と、、、。
でも、ま、いいやねということにする。つーか、あきらめる。
(「管理」のコーナーを開けただけで嫌になった、、、。)


下手な嘘は書かぬよう、気をつけよう。
まあ、ここは書くことで俺が自分の頭を整理する場だから、そうはならないと安心してるけど。


で、最初のころのを見てたら「JDK」というのがけっこう頻繁に出てくる。
なんだ、こりゃ?
人の名前らしいが、、、。
、、、しばらくして、気付く。あー、サリンジャーか。


で、思い出す。
そうそう、サリンジャーの「フラニーとゾーイー」と「シーモア」を買ったんだった。
(これ、書いたかなー。)
「フラニー」は読み終わって、いま「ゾーイー」の途中。
買ったのは、たしか3月。
同時に「空腹の技法」も買った。
あ、思い出した。
自主稽古で「偶然の音楽」のページを食べちゃったから、これはまずい、と買いにいったときにまとめて買ったんだった、、、。


さらに、思い出した書籍。
「シアターアーツ」の最新刊が到着していた。
最近のパターンでトイレにおいてある。
(よい意味で)トイレではとてもすっきりと読める。
しかし、1年に330本も見てる人がいるとは(100本以上見てる人はざら、いくら批評家といえど)、、、。ま、当人からも、頭が混乱すると聞いたけど。
シアターアーツはためになるけど、「あー、俺からは遠い」の感が否めない。
投稿しようか、と思ったこともあるのになー。


さて、「フラニー」は、、、むー。
ナイン・ストーリーズ」と比べると、、、。
より確信犯になっているのはわかるんだけど。
「ゾーイー」も(まだ途中だけど)、、、なー。
なんか「ライ麦」を再読するべきの気がしてきた。
(あれはまたまったくちがう印象がある、、、。)
つーか、「偶然の音楽」をさらに読めよって感じだが。


あー、もう朝だ。