錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

パフォの劇場づくり、日本前衛舞台芸術者協会準備会、基点と体感。

朝から、我孫子にさまざまな機材を取りにいくはずだった。
けれど、夜更かししたためか、寝坊。あわてて、待ち合わせ場所ではなく、現地に直行する。
天気いい。つーより、暑い。
何本も川を越えるのだけれど、川べりはバーベキューや釣り客、スポーツする人でいっぱい。


なんとか追いついて(それでも貴重な時間をだいぶつぶさせてしまった、すみません)積み込む。遊びに来ているのではないけれど、人のお家を訪ねるというのはうれしいもの。時間のロスを取り戻すために、都内へ急ぐ。下りはやはり混んでいる。けれど、上りはすいすい。これほど近いとは、、、という感じ。


降ろして、劇場づくりにとりかかる。それにしても、暑い。
まだ全体像が読めないので、さくさく進められない。
それでもなんとか客席を平台で完成させることができる。
片付けもだいぶ進む。


日本前衛舞台芸術者協会準備会のために、4時過ぎに上がらせてもらう。
一転、御茶ノ水に急ぐ。
会議はなかなか刺激的なものだった。いろいろな意味で。
自分に強く関わっていた話題としては(大雑把にいえば)「何を表現の基点とするのか」「自らの体感・感性を基点として表現は可能なのか」といったところだと思う。もちろん、ほかにもさまざまな議論がなされたが、残念だけれどここでは記せない。


「何を表現の基点とするのか」は確かに死活問題であり、「自らの体感・感性を基点として表現は可能なのか」については、そんなんでやっちゃダメだし、だけれど、そんなダメなところからしかはじめられない、、、というのが言葉でいえば我が結論となる。でも、問題は言葉でどう決着を付けるか、ではなく、演劇として・芝居として・表現として「なにができるか」だ。と同時に、それは上演の場(達成)だけの問題ではなく、どちらかといえばそれまでの過程(つまり稽古場)の問題なんだ、と思う。
明後日には錦鯉タッタの集まりがある。頭を空洞化させ、かつ、活性化させよう。
、、、にしても、ケツが決まっていたと勘違いして、会議を途中抜けせざるをえなかったのは無念、、、。