記録と躊躇、いまさら?
何度か録音したものをもらったり、あげてもらったりしてて、、それでも何故か聴いてなかった。それは芝居でも同じで、あまり録画・記録にこだわっていなかった。むしろ(多くの前衛芸術の人はそうでなかったのも知らないで?)誰もいない、どんな記録にも残らない、みたいな今から考えると阿呆丸出しのノリでやって(生きて)きた。
構成演出のみで参加の場合、私が見てればそれでよい!みたいな、ある種傲慢で陳腐な時間を過ごしてきた。自らが出てる場合はまたノリが違うんだけど。
その贖罪の意識もあるのか(贖罪?)記録に対して弱い。他の方のものを見ると「記録あってよかったな」と思う癖に。矛盾。
矛盾あるのは誰しもで、とにかく録音を聴いてなかった。最近は(結局)聴かないんどけど、自ら録音するようにしている。
いろいろ考えることあり、最近のを恐る恐る聴いた。頭だけ。言うまでもなく、、と言うべきなんだろう、かなり思うところがあった。生と記録は違う、特に現場では、時間が。それはいまも強く思う。ただ、参考にはホントなる。参考?いまさら?