錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

荒れる話の場。芝居が変化すること。演出という立場でやれること。

月曜は、死んでいる。
役者たちはいろいろと動いて(働いて)いたらしい。すごい、、、。
で、こちらは夜から、動く(働く)。もともと予定している客の入りでも赤字だし、この2日の入りだともっとプッシュしなくては、、、と思いつつ。とにかく、芝居では食わない、という線を貫いている以上、世間のみなさまと同様に(民衆として)働かなくては、、、。


火曜の夜は集まり。
火曜に「話」をして、木曜に稽古、金曜にリハーサル的通し、というのが今週の予定。
さて、なんの話をしよう。どんなふうに話そう。
演出としてできることはもう「こんなとき」しかない。考えに、考える。(役者ならば本番で張り切ればいいんだけど。)


少しだけ伝え聞いた、いろんな人の感想めいたものをコピーする。
劇場に向かう電車のなかで、自分の頭に浮かんでくる、いろんなんことをメモる。
時間がないのだから「ありえない」芝居の変更について、それを実行することについて真面目に考える。どれだけたくさんの「舞台化されなかった」ものを考えだし、稽古し、それが実際の舞台に埋め込まれるか、が勝負、は芝居づくりの初期でもラストでも変わらない。まして、俺はテント旅の経験者。テントを建て、舞台を組み、芝居をし、テントをバラシ、移動し、またテントを建て、、、というサイクルのなかで、まともに稽古の時間などとれない状態でも芝居は変化するし、変化させることができる。、、、それをまさに実感してきたんだから。プラス、週に4日上演で4週間という錦鯉タッタの昨年の上演スタイルでもそれは同じだったんだから。芝居は変わるし、変えられる、、、。
それがなかったら、なんのために2週もやってんだ、なんのために演出として俺がいるのか、と、、、。


ところが「言い過ぎ、やり過ぎがおまえの悪いくせ」と言われ続けてうん十年、三つ子の魂百まで、なのか、またしても話は荒れに荒れる。はははは。
ま、黙ってニコニコして、役者の機嫌をうかがうだけならば、わざわざ演出なんてやらないんだから、よしとしよう。でも、まいったねー、、、。


もうひとつ。
一昨日はそれほど感じなかった寒さを感じた。昼はなんじゃこりゃ的に暖かい日が続いてるけど、もう11月も半ば近く、寒くて当然なんだよね。