錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

怒濤の芝居嵐のあと、限定、なりゆきで見た「新・ドイツ零年」。

木曜日は都内の清瀧で飲む、錦鯉のメンバと。
ひさびさにゆっくり飲んだ気分。、、。
叛通信・京都芝居と立て込んでいたのでひさびさの情報交換。
やらねばならぬことなど確認する。
とはいえ、基本的にはただ飲んだだけ。
とはいえ、飲み過ぎに変わりなし、、、。


金曜日はスーパー銭湯
こちらもひさびさ。
サウナでテレビってすごくうれしい、やはし。


録画しておいたTVKの「サクサク」の木村カエラ辞職週を見る。
さすがに、いろんな心がにじみでてるし、泣ける映像。
そうだよね、4月は別れの季節なんだよね。
ま、出会いの季節でもあるけど。
いい展開になることを期待しよっと、、、。


そうだ。
仕事もようやくいろいろとやったのだった。
腰のせいでたまりにたまっていた仕事を死ぬ思いでやっていたのだった。
(実はいま10日で「あれ、木金土って何やってたのかなー」と記憶の喪失ぶりに不安になっていた、、、。)


そうだ。
ひさしぶりに身体を動かしたいと思うが、それもかなわず仕事に邁進していたのだった。
そして、夜と昼は逆転し、ようやく土曜に少し身体を動かしたのだった。


そうだ。
土曜の夜はマチェックに今度、錦鯉に参加するかも、という人にまともに話にいったのだった。
そこでは絵画教室が行われていて、ギャラリー(見てる人)もいて、関係者の誕生会と称して映画の(即席?)上映会もするという話も出ていたのだった。


30分ほど、と限定して、まともに話す。
(限定するって大切なことだし、限定させると・はっきりさせると、いいことが多いと思う。)
10分どちらかが話して、次に10分どちらかが話して、ラストの10分で詰める、と思っていたけど、話し出すと(いつものことだが)長くなって、少ししか相手の話をあまり聞けぬまま45分が過ぎる。
ま、まともに話せたからいいか、今回は、、、。
人(特にあまり面識がない人)と話すと、自分を対象化できる。それはとてもいいことだ。
こんなふうに「書く」のも同じこと。
(話したり書いたりして、人は考えるんだよな、と改めて思う。)
とりあえず「ま、前向きにいく」で話は終わる。
いろいろとこれから、だけど、たのしく(ときには、つらく、有意義に)進むとよい、と思います、ホントに。


で、45分ほど話して(これってけっこうくたびれる)、ナリで上映会に参加。
なんと、ゴダールの「新・ドイツ零年」。
1時間ほどの時間が長く感じた。けど、けっこうたのしく見れた。なにより、プロジェクタで画面がきれいで大きいのがいい。こういう映画もひさびさだったし。
でも、場は「飽きた」「見てらんない」の空気ありあり。無理もないけど、、、。
本人が退屈を意識してつくってるみたいだし。


ともあれ、これから上映会もどきもたくさんやれそうだし(あれならば少人数ならば金とっても文句いわれないだろうし)、北浦和マチェックもさらに盛り上がる気配でいい感じでした。