錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

話、話。つながること、つながりかた。明日がよい日でありますように

日記が追いついた。
つながったパソコンに感謝。


いつもの二日酔いと変わらぬノリで朝から何度も目がさめるけど起きられず、の連続。
メールチェックは最低として、あれとこれと、、、少なくとも「服」の準備を、、、と思うがダラダラ状態は脱却できない。


こんなときに変な話だけど、最近読んでいる本は、漱石の「行人」。よくできているし、深いし、なにより、スペクタクル。新聞小説だなー、と思うし、なにより、彼のエンターテイナーぶりに脱帽する。
んで、昨夜、18年前に他界した母のノートを読んだ。、、、深い淵は「表現というものの技術」の問題じゃない。つながるものはつながっているし、ちがうところはちがっている、、、。軽いものは軽い、ダメなものはダメ。グッとくるものはグッとくる。せっぱつまったものは安易ではないし、人の心などわかるもんじゃない。悩み方(楽しみ方)も人それぞれ。


午後からの葬儀の打ち合わせにはまにあわなくては、と急ぐ。
急いで、荷物を詰めて。


あいさつ。
打ち合わせ。あいさつ、、、、。
感傷的な話と事務的な話。
あいさつ。
写真の選定。
書類への記入。
金の算段。
そして、あいさつの準備。


夜にはまた酒。
今日は軽く、、、。
親父にしてみれば孫らが集まった。
子らには遠い話。自分もそうだった。
ただ、子から少しだけ大人に変態しようとしているものにはつらい時間だ、きっと、いろんな意味で。


飲みながら、話、話、話。
いったりきたり。
そしてまた、いったりきたり。
最後にはファッションショーもどき。
「服」は見込みが甘く、妹の旦那に借りることにする。情けない話だけど、ありがとう、感謝。
そしてまた、話、話、話。
その「項目」を列挙すればおもしろいのだけれど、余裕なし、いったりきたり、遅々と、、、。


実家ではなぜか携帯のアンテナが立たず、苦労しながら、同時に、携帯依存度の高さに閉口する。ただ「んなら、いらねえ」とは言えないのが現実。
明日は通夜、明後日は告別式、こういうときこそ人望が表れると、親ながら感心するとともに、自らをふりかえってあきれる。いや、らしいこと言って韜晦・ごまかしするのはよそう。「人望」はかたちを変えて表れる。自らのそれを真摯に受け止めるしかないんだよね、きっと。
少なくとも、この2日は、遅まきながらの、そして、それをこなしただけではとうぜんおっつけないだろう、だけど、少なくとも少しは孝行となるような(世間的には常識的な)明瞭な振るまいをクリアに引き受けようと思う。


(まずは、とりあえず)明日がよい日でありますように。
ガットブレスユー、ミスターライジング!