錦鯉タッタR(yamadarei)が演劇から考える

錦鯉タッタの山田零が、演劇から考えるブログ

「きょうの寄り道」ブログから。

錦鯉タッタ『POTS 2』個々のシーンはよかったです!!
寿美札さんのテニス、いいなあ。声も身体感もいいけど、
「工夫」があるのがいい。愛があるシーンになってます。
宮崎さんの味噌汁・健太くんの布団もよかった。
かずみちゃんの呆けたおばあちゃんのシーン、すばらしかった!
当初は衣装もなく、動かず、ぼそぼそしゃべる自主稽古で、
この稽古場に入っていろいろ変わったそうだ。
衣装と動きが効いている。
ちゃんと血が通っていながら一個人を越えた抽象度を獲得してるというか。
本番に向けて、迫られてひねり出してくるんだろうし、
「前回から3ヶ月でもう公演?」と観る前は思ったけど、
グイグイ公演してよかったのかも。
前回、かずみちゃん上手くなって小さくなってきたか?と思ったけど、
大きく跳ねたなあと感心しました。
でも、あの人物で、もっと観たかった。
これでもう、使い捨てられてしまうのかと思うと、かなしい・・・。


私は〈女中たち〉は興味が持てないけど
〈偶然の音楽〉は、前回、健太くんと寿美札さんの会話、
とても良かったし、私にとってもおもしろくなりえると思う。
でも、今回は稽古不足ということなのかなあ、ピンとこなかった。
ストーリーのあるなしにかかわらず、
複数の役者が参加するシーンでいいところがあったほうが
芝居として立ってくる感じがして、
各シーンでなく芝居全体とては、前回のほうが力があった印象。
初日を観ただけなので、2日目以降はわかりませんが。

気になるのは山田さんの役者業。
前回から3ヶ月、テキストに演出に、かなり忙しかったはず。
それでもやった役者だから、今後も役者をやりたいんだろうなあと。
とすれば、なにか、大きく、システムとか、気持ちとか
考え直さないとマズいんじゃないかなあ。
1人だけはっきりレベルが、志が、低い。なぜ?
役者業への向かい方、他の作業との兼ね合い、
自分が演出だし、ダメだししてもらえないから?
以前は他の役者もいまいち機能していなかったから
目立たなかったけど、今はもう違う。
なんでこれで出て来ちゃうの?と思った。
もっと素で立てる人なら、またちがうと思うんだけど、
山田さんは(今のところ)素に立つのは苦手で、
演じちゃうし、でも演じる中身がない。
一緒に旅した時の山田さんの役者業は
研究熱心で微細なこだわりもあって
もっと誠実な印象で私はおもしろかったけどなあ。

別に成功してなくたっていいし、稽古不足で無様だっていい。
そういうことに文句を言いたい訳じゃない。
「理屈」はあるのかもしれないけど、役者の心身の表現になってないというか、
失敗しててもいいけど、役者の表現に向けた努力(?)を感じない。
舞台の上で「嘘じゃなく生きる」気迫が(工夫も含めて)感じられない。
前に前に出てくるけど、その図々しさは空威張りで底が浅いし、
うわべで「演じてる」その小ささ、不誠実が、
芝居の底を流れる大事なものの足を引っ張ると思う。

テキストや演出の仕事で指し示す「意味」みたいなものから
いったん切れて役者業に取り組めていない、ということかなあ。
役者業は、集団の中で自分が一番不利・不得手なんだということを
もっと強く認識して、奥様とか、あんなややこしい出方はせめてやめて、
短くても自分で試行錯誤したワンシーンとかにしたらどうだろうか。

あー、しかし、こーゆーこと書くのは、自分を高い高い棚に上げても
まだ気が重い。けど、タッタは力のあるメンバーの集まった期待の劇団だし、また観たい。とすれば、気になることは言わなきゃしょうがないよなあ・・・・。